鹿島孝二
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鹿島 孝二
かしま こうじ
雑誌『富士』より(1952年)
誕生1905年4月21日
日本 千葉県
死没 (1986-11-13) 1986年11月13日(81歳没)
代表作『湘南滑稽譚』[1]
『関白マダム』[1]
『大正の下谷っ子』[1]
『おとこ大学』[2]
主な受賞歴1976年 第4回日本作家クラブ
1978年 第20回児童文化功労者
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鹿島 孝二(かしま こうじ、1905年4月21日1986年11月13日[1][3])は、日本の小説家長谷川伸一門のユーモア小説作家である[2]日本文芸家協会常務理事、日本文芸著作権保護同盟理事を歴任、「長谷川伸の会・新鷹会」の中心メンバーであった[4]
人物・来歴

1905年(明治38年)4月21日千葉県に生まれ、東京府東京市下谷区稲荷町(現在の東京都台東区東上野)で育つ[1]

長じて、旧制・早稲田大学高等師範部(現在の早稲田大学教育・総合科学学術院)國語漢文科を卒業する[1][3]

1931年(昭和6年)、第9回サンデー毎日大衆文芸選外佳作となる[3]。1939年(昭和14年)1月、大日本雄辯会講談社(現在の講談社)の総合雑誌『キング』1月号に掲載された『銃後の青春』が、同年上半期の第9回直木三十五賞の参考候補となる[3]

1967年(昭和42年)、ライフワークとなる『湘南滑稽譚』の執筆を開始する[1]

1976年(昭和51年)、『湘南滑稽譚』により第4回日本作家クラブ[1][3]、1978年(昭和53年)、第20回児童文化功労者を受賞した[3]

1986年(昭和61年)11月13日、死去した[1]。満81歳没。没後、遺族が蔵書を平塚市に寄贈し、1991年(平成3年)、平塚市図書館に「鹿島孝二文庫」が開設された[4]
ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書[5]

『微笑設計』、パブリ社、1938年

『一億の柱』、博文館、1941年

『男の敵』、興亜文化協会、1941年

『愛情延期』、ユーモア文庫、東成社、1942年

『情熱工作機械』、日本小説新書、講談社、1943年

『暁の海峡』、輝文堂書房、1944年

『カナリヤ娘』、絵津田譲、偕成社、1949年

『暁の凱歌』、絵飯塚羚児、偕成社、1949年

『初恋トンコ娘』、新小説文庫 第128、新小説社, 1951

『淑女諸君』、文芸図書出版社, 1952

『娘十九はまだ純情よ』、文芸図書出版社, 1952

『失恋救済業』、ユーモア小説全集 第8、東成社, 1952

『アプレ結婚』、文芸図書出版社, 1952

『友情馬車』、絵川原久仁於、偕成社、1953年

『巨鯨先生』、絵三条美津夫、少年少女ユーモア文庫、宝文館、1953年

『私は中学生です』、絵高橋国利、少年少女ユーモア文庫、宝文館、1953年

『青春採点簿』、文芸図書出版社、1953年

『関白マダム』、毎日新聞社、1953年

『青春の構図』、東方社、1953年

『みんなあげるわ』、文芸図書出版社、1953年

『青春の扉』、東方社、1953年

『恋愛適齢期』、東方社、1953年

『恋愛山脈』、東方社、1953年

『緑の旅行鞄』、東方社、1953年

『ろまんす横丁』、東方社、1953年

『青春の道草』、東方社、1953年

『恋愛処方箋』、東方社、1954年

『青春遊覧船』、東方社、1954年

『火炎樹』、東方社、1954年

『美男の審判』、東方社、1954年

『恋の特種』、東方社、1954年

『おとこ大学 第2』、東方社、1954年

『深夜のお客様』、東方社、1954年

『ひとりは寂し』、東方社、1954年

『かみなりクラブ』、絵久米宏一、少年少女ユーモア文庫、宝文館、1955年

『おとこ大学 第1』、東方社、1955年

『おとこ大学 第3』、東方社、1955年

『青春処方箋』、人気作家小説全集 第8、東京文芸社、1955年

『週間奥様』、東方社、1955年

『良人の冒険』、東方社、1955年

『君は千人風呂』、東方新書、東方社、1955年


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