鹿島アントラーズ
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鹿島アントラーズ
原語表記鹿島アントラーズ
呼称鹿島アントラーズ
愛称鹿島、アントラーズ
クラブカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  ディープレッド
[1]
創設年1947年
所属リーグ日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョンJ1リーグ
クラブライセンスJ1
ホームタウン茨城県鹿嶋市神栖市潮来市行方市鉾田市[1]
ホームスタジアム茨城県立カシマサッカースタジアム[1]
収容人数38,669[1]
運営法人株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー[1]
代表者小泉文明[2]
監督 ランコ・ポポヴィッチ
公式サイト公式サイト

ホームカラーアウェイカラー

今シーズン
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー
Kashima Antlers F.C. Co., Ltd.種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
314-0021
茨城県鹿嶋市粟生東山2887[1][3]
設立1991年10月1日
業種サービス業
法人番号7050001020168
事業内容サッカークラブの運営、スタジアムの管理運営
代表者代表取締役社長 小泉文明[2]
資本金15億7000万円
売上高64億6200万円
(2024年1月期)[4]
営業利益▲3億1500万円
(2024年1月期)[4]
経常利益▲3億2600万円
(2024年1月期)[4]
純利益▲3億1100万円
(2024年1月期)[4]
純資産15億6500万円
(2024年1月期)[4]
総資産49億4300万円
(2024年1月期)[4]
決算期1月期
主要株主メルカリ 71.2%
LIXIL 10.0%
日本製鉄 7.1%
鹿嶋市など自治体5市 5.0%[5]
関係する人物鈴木昌
大東和美
下妻博
外部リンクhttps://www.antlers.co.jp/
特記事項:特記なき財務諸数値は2020年1月期決算による[4]
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鹿島アントラーズ(かしまアントラーズ、: Kashima Antlers)は、日本茨城県鹿嶋市神栖市潮来市行方市鉾田市ホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の1つ。
概要

1947年に創設された住友金属工業蹴球団が前身。Jリーグ加盟時の1991年10月に、地元5町村(茨城県鹿島郡鹿島町神栖町波崎町大野村行方郡潮来町)と43企業の出資により運営法人「株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー」が設立され、現クラブ名に改称。ホームタウンは設立当時の5町が合併して設立した鹿嶋市(旧・鹿島町および大野村)、神栖市(旧・神栖町および波崎町)、潮来市(旧・潮来町および牛堀町)に加え、2006年からは行方市鉾田市が追加され、鹿行地域全域がホームタウンとなった。なお、Jリーグ発足当時、ホームタウンは原則として1チーム1市区町村だったが、鹿島に限り特例で周辺市町村との広域ホームタウンが認められた(現在は広域ホームタウンに関する制限はなく、複数の市町村ないし都道府県全域としたチームが複数ある)。

ホームスタジアムは県立カシマサッカースタジアム、練習場は鹿島アントラーズクラブハウスグラウンドである。

チーム名の「アントラー(antler)」は英語で「鹿の枝角」を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県のをイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。チーム発足時からクラブのアイデンティティとして「FOOTBALL DREAM」を常に掲げている。クラブマスコットは鹿をモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。

国内三大タイトルであるJ1リーグ(優勝8回)、Jリーグカップ(優勝6回)、天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会(優勝5回)の優勝回数はいずれもJリーグ発足以後、Jクラブの中で最多で、三大タイトルの累計で19冠を誇る。また、国内三冠(同年度内に国内三大タイトルを全て優勝)した初のクラブであり、J1リーグ三連覇を果たした唯一のクラブでもある。さらに、2018年のAFCチャンピオンズリーグ優勝も合わせて主要タイトル20冠、その他タイトルと合わせて合計35冠とカウントすることもある。

2016年FIFAクラブワールドカップにおいて、準優勝を果たした。決勝に進出した初のアジアのクラブチームで、日本のクラブチームでは唯一である。1993年のJリーグ発足から一度も降格経験がないクラブは、鹿島アントラーズと横浜F・マリノスだけである。また、リーグ戦の最終順位においても、二桁順位になったのは2012年の11位のみであり、他の年は全て一桁順位で終えている。
歴史
住友金属時代詳細は「住友金属工業蹴球団#鹿島アントラーズ設立の経緯」および「オリジナル10#選定の経緯」を参照

1947年創部の住友金属蹴球同好会(1956年に住友金属工業蹴球団へ改称)が前身となり、1973年に日本サッカーリーグ(JSL)2部、1985年にJSL1部へ昇格した。なお、1975年に大阪市から鹿島製鉄所のある茨城県鹿島町(現・鹿嶋市)に本拠地を移転した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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