しかうち たかし
鹿内 孝
本名鹿内 孝(しかない たかし)[1]
別名義鹿内 タカシ
生年月日 (1941-02-25) 1941年2月25日(83歳)
出生地 日本 千葉県市川市
身長174cm
血液型B型
職業俳優、歌手
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台・歌番組
活動期間1961年 - 現在
事務所ケイダッシュ
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鹿内 孝(しかうち たかし、1941年2月25日[1][2] - )は、日本の俳優、歌手。
群六舎プロダクション[1]を経て、ケイダッシュ所属(デビュー当時は渡辺プロダクション)。 千葉県[1][2]市川市出身。小学5年生から高校2年生まで、キリスト教会の聖歌隊に在籍。 ニューヨーク大学に2年間留学。市川高等学校の同級生にはバーニンググループ[3]の総帥・周防郁雄(1941年生まれ)とケイダッシュ[4]会長の川村龍夫(1941年生まれ)がいた。 1959年に鹿内タカシ&ブルーコメッツを結成。日本劇場でのウエスタン・カーニバルに出演。鹿内ブルコメのメンバーにはジャッキー吉川、井上忠夫、三原綱木と後のGSブルコメの核となる人物が加入していた[5]。 1961年、渡辺プロに入り、翌1962年に「ロカビリー歌手」としてレコード・デビューした[6]。同年、映画デビューも果たしている。 1966年から1968年までアメリカへ音楽留学。1968年に「愛のきずな/想い出のブルーレイン」で活動を再開。 1972年、「本牧メルヘン」(阿久悠作詞・井上忠夫作曲[7]をヒットさせた。 1980年代から1995年3月まで、NHK-FMの音楽番組「セッション'〇〇」(〇〇には西暦年の末尾2文字が入る)の司会者としても長く活躍した。 俳優としては、クールな二枚目から、刑事ドラマやサスペンスドラマでの悪徳政治家、社長、ヤクザ者や犯人役といった悪役まで、様々な役柄を演じている。なかにし礼の小説『世界は俺が回してる』に周防や川村と共に実名で登場し、当時の音楽状況を垣間見る数々のエピソードが披露されている。 趣味及び特技は英会話[1][2]、スキー[2]、スクーバダイビング[2]。趣味はウインドサーフィン[2]、バイク[2]、登山[2]、フィッシング[2]。
経歴
主なシングル/楽曲
俺は最低な奴さ(1962)
タカシとロック(1962)
涙をおふき[8](1962)
ベン・ケーシー
鏡の中のジョニー(1963)
泣かずにいられない(1963)
ウエディングベルをかきならせ
戦場の恋(1963)
君を求めて(1963)
少年忍者風のフジ丸(1964)
恋はスバヤク(1964)
シェリーからの手紙(1964)
コメ・ノイ/平和の誓い(1964)
白い雲に胸はって(1964)
ほほにかかる涙
愛のきずな/想い出のブルー・レイン(1968)
モカの香り
気になる男(1971)
本牧メルヘン(1972)
別離
愛の記憶
情熱
五月のバラ
片想い
パピヨン
裏窓(1977)
夕ぐれの雨(1977)
1990年
インディアン・サマー(1979)