鹿児島県立鹿屋高等学校
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鹿児島県立鹿屋高等学校

過去の名称鹿児島県立鹿屋中学校(1923年
鹿児島県立鹿屋高等女学校(1925年
鹿児島県鹿屋高等学校第一部・第二部(1948年
国公私立の別公立学校
設置者鹿児島県
学区大隅学区
校訓知・徳・体
設立年月日1923年
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
高校コード46155F
所在地〒893-0016
鹿児島県鹿屋市白崎町13-1
北緯31度22分45.1秒 東経130度51分29.3秒 / 北緯31.379194度 東経130.858139度 / 31.379194; 130.858139座標: 北緯31度22分45.1秒 東経130度51分29.3秒 / 北緯31.379194度 東経130.858139度 / 31.379194; 130.858139
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鹿児島県立鹿屋高等学校(かごしまけんりつ かのやこうとうがっこう 英語: Kanoya High School)は、鹿児島県鹿屋市白崎町にある全日制普通科高等学校。通称『鹿屋高校』、または『普通校』(鹿屋市内では普通科単独の高校が同校のみであるため)。2011年度より、曽於学区と合併し大隅学区となる。
目次

1 概要

1.1 前身

1.1.1 設立の経緯


1.2 校風を表す言葉

1.3 生徒の出身中学校


2 沿革

2.1 鹿児島県立鹿屋中学校

2.2 鹿児島県立鹿屋高等女学校

2.3 鹿児島県立鹿屋高等学校


3 基礎データ

3.1 アクセス

3.2 象徴

3.2.1 三星

3.2.1.1 校章

3.2.1.2 三星が使用される事例




4 教育

4.1 授業内容

4.2 クラス編成

4.3 考査

4.4 進学実績

4.5 メンタルヘルス


5 学校生活

5.1 主な学校行事

5.2 部活動

5.2.1 体育系

5.2.2 文化系



6 高校関係者と組織

6.1 著名な出身者

6.1.1 政治

6.1.2 経済

6.1.3 学術

6.1.4 文化

6.1.5 芸能

6.1.6 マスコミ

6.1.7 スポーツ

6.1.8 その他



7 施設

7.1 校舎

7.2 インターネット


8 対外関係

8.1 他校との協力関係


9 その他

10 関連項目

11 参考資料

12 外部リンク

概要 第59期生のスローガン「負けるな! 勝て! 勢!」
前身

鹿児島県立鹿屋中学校(1923年)

鹿児島県立鹿屋高等女学校(1925年)

設立の経緯

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2009年4月)


元々同校は、明治時代に旧制第五中学校として設立される計画であった。

1900年(明治33年)当時の鹿児島県には、鹿児島県中学造士館鹿児島県第一中学校鹿児島県第二中学校鹿児島県第三中学校鹿児島県第四中学校があった。明治時代の県議会史記録によれば、鹿児島県第五中学校(鹿屋)、鹿児島県第六中学校(志布志)が、いわゆるナンバースクールとして予定されていた。

1899年(明治32年)の通常県議会において時の知事・加納久宜が、建築費が可決されていた第五尋常中学校を畜産学校に改めるという知事諮問案を提出。これは勧業知事と呼ばれた加納知事の信念でもあった。第五中学校を残せという反対意見もあったが、35対10で諮問案は可決された。第五中学校設立計画が没になったのは、鹿児島市にあった農学校の鹿屋移転がからんでいた。その農学校は、1896年(明治29年)4月、鹿児島簡易農学校として鹿児島市下荒田町に創立、1898年(明治31年)4月、鹿児島県農学校と改称、そして1900年(明治33年)4月、第五中学校設立予算を転用して鹿屋村(当時)に移転した。こうして、明治時代に鹿屋に設立予定の第五中学校は幻に終わり、それから24年の歳月を待つこととなった。

校風を表す言葉

精神論根性論を多用するのが特徴。


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