「川内高等学校」はこの項目へ転送されています。2008年まで存在した青森県立川内高等学校については「青森県立大湊高等学校川内校舎」をご覧ください。
鹿児島県立川内高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度49分44.09秒 東経130度17分54秒 / 北緯31.8289139度 東経130.29833度 / 31.8289139; 130.29833
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鹿児島県立川内高等学校(かごしまけんりつ せんだいこうとうがっこう)は、鹿児島県薩摩川内市御陵下町にある県立の高等学校。略称は川高。 1897年(明治30年)創立の旧制中学校および1913年(大正2年)創立の高等女学校を前身とする。なお、九十周年記念誌や百周年記念誌、平成25年度までの学校案内などでは「県内2番目の歴史」という主旨の記述や寄稿があったが、1883年は博約義塾、1894年は県立尋常中学校・鹿児島簡易商業学校・鹿児島女子実業補習学校、1895年は鹿児島県尋常師範学校付属専科農業講習所が開校している(これらはいずれも学校公式創立年)ので誤りである[1]。かつては家庭科や保健体育科などの学科を有していたが、現在は普通科のみとなっている。
概要
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)
1897年(明治30年)4月16日 - 「鹿児島県尋常中学校第一分校」として開校。
修業年限を5年(現在の中学1年から高校2年までの課程)、入学資格を高等小学校2年課程等を修了した12歳以上の男子とする。
1898年(明治31年)4月1日 - 鹿児島県尋常中学校から分離し、「鹿児島県第二尋常中学校」として独立。
1899年(明治32年)4月1日 - 中学校令の改正により、「鹿児島県第二中学校」と改称(「尋常」が除かれる)。
1901年(明治33年)9月2日 - 「鹿児島県立川内中学校」と改称。
1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
1945年(昭和20年)
3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限短縮(5年から4年に短縮)施行の前倒しが決定され、4年生(昭和16年入学)と5年生(昭和15年入学)の合同卒業式を挙行。
4月 - 学校での授業が1年間停止されることとなる。ただし勤労動員は継続される。
9月 - 終戦により、学校が再開される。
1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が4年から5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
旧制中学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒の募集は行われず、在校生が2・3年のみの中学校であった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、その4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
1948年(昭和23年)4月1日- 学制改革(六・三・三制の実施)により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県川内高等学校第一部」が発足。
旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
併設中学校は新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
1949年(昭和24年)3月31日 - 旧制最後の入学生が卒業し、併設中学校が廃止される。旧制5年から新制3年への修業年限の移行が完了。
旧制高等女学校・新制高等学校(女子校)
1913年(大正2年)5月1日 - 「薩摩郡立実科高等女学校」として開校。
1918年(大正7年)4月 - 「薩摩郡立高等女学校」と改称(実科が除かれる)。
1923年(大正12年)4月10日 - 「鹿児島県立川内高等女学校」と改称。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
高等女学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を併設中学校2・3年生として収容。
併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒の募集は行われず、在校生が2・3年のみの中学校であった。
高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、その4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
1948年(昭和23年)4月1日- 学制改革(六・三・三制の実施)により高等女学校が廃止され、新制高等学校「鹿児島県川内高等学校第二部」が発足。
高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
併設中学校は新制高等学校に継承され、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
1949年(昭和24年)3月31日 - 旧制高等女学校最後の入学生が卒業し、併設中学校が廃止される。旧制5年から新制3年への修業年限の移行が完了。
新制高等学校(男女共学)
1949年(昭和24年)4月1日 - 第一部と第二部を組織改編し、男女共学の「鹿児島県川内高等学校」となる。
1956年(昭和31年)4月1日 - 「鹿児島県立川内高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が加えられる)。
1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。
1968年(昭和43年) - 寄宿舎が完成。財団法人川内高等学校奨学事業を開始。
1969年(昭和44年)4月1日 - 保健体育科を新設。
1972年(昭和47年)- 体育実習室(トレーニングセンター)が完成。
1973年(昭和48年)- 可愛山会館に食堂を開設。
1976年(昭和51年)4月 - 保健体育科の募集を停止。
1978年(昭和53年)3月31日 - 保健体育科を廃止。
1982年(昭和57年)- プールが完成。
1987年(昭和62年)- 校訓(「自律・敬愛・剛健」)を制定。
1991年(平成3年)- 新寄宿舎が完成。
1994年(平成6年)- 第1回海外修学旅行実施(中国)を実施。
1997年(平成9年)- 創立100周年記念式典を挙行。可愛山同窓会館が完成。鹿児島県立出水高等学校とのスポーツ交歓会を開始。
1999年(平成11年)- 海外修学旅行でオーストラリアを訪問。
2006年(平成18年) - 必須科目の未履修が発覚(学校長は一度未履修を否認)。文部科学省や鹿児島県教育委員会の指示に従い補習を行った。
2011年(平成23年)4月 - 出水学区と合併し、北薩学区となる。