鹿児島市の行政区域の変遷
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}鹿児島市 > 鹿児島市の行政区域の変遷鹿児島市の位置図

鹿児島市の行政区域の変遷(かごしましのぎょうせいくいきのへんせん)では、鹿児島県鹿児島市市制町村制施行以後の行政区域の変遷を記す。

鹿児島市は、1889年(明治22年)の旧鹿児島城下46町及び旧近在の内1町3村の区域の鹿児島市成立から過去の市町村の編入・合併があり、平成の大合併において現在の市域となった。
市域の変遷

鹿児島市は1889年明治22年)、市制町村制(明治21年法律第1号)が施行されたのに伴い市制施行地(明治22年内務省告示第1号)により、鹿児島が市制施行地に指定され、同年4月1日をもって鹿児島県令第26号の規定に基づき、鹿児島府下47町及び荒田村、塩屋村、西田村の合計50町村が合併し成立した[1]。鹿児島市は日本で最初に市制が施行された31市の一つである[2]

その後は近隣の村の一部区域を鹿児島市に編入したり、近隣村へ一部区域を分割しているが、1934年昭和9年)に鹿児島郡中郡宇村、同郡西武田村及び同郡吉野村の3村を編入し[3]1950年昭和25年)には鹿児島郡伊敷村及び同郡東桜島村の2村が編入された[4]

その後はしばらく市域の変更はなかったが、1967年昭和42年)に南部に接する谷山市との新設合併により新たに「鹿児島市」となり[5][6]2004年平成16年)には鹿児島郡吉田町、同郡桜島町揖宿郡喜入町日置郡郡山町及び同郡松元町の5町を編入し[7]、現在に至る。
行政区域の変遷.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースには鹿児島市に関連のある法令の原文があります。

市制施行地


伊敷村・東桜島村を廃し鹿児島市に編入する件

鹿児島市・谷山市を廃し鹿児島市を置く件

吉田町・桜島町・喜入町・松元町・郡山町を廃し鹿児島市に編入する件


1889年4月1日 市制町村制施行に伴い、鹿児島城下47町及び鹿児島近在3村の区域より鹿児島市が発足。

同時に、現在の市域に相当する以下の各村が発足。カッコ内は郡制施行に伴う郡統廃合後の所属郡。

鹿児島郡吉野村中郡宇村西武田村伊敷村吉田村

北大隅郡(鹿児島郡):西桜島村東桜島村

谿山郡(鹿児島郡):谷山村

日置郡上伊集院村下伊集院村郡山村

給黎郡(揖宿郡):喜入村



1897年04月01日【郡区画改正】郡の統廃合が行われる。

1911年09月30日 【編入】伊敷村大字下伊敷字草牟田(草牟田)および西武田村大字武の一部(武、天保山)⇒鹿児島市[8]

1920年10月01日 【編入】伊敷村大字下伊敷字紙屋谷(玉里)および伊敷村大字永吉(永吉、原良)⇒鹿児島市[8]

1924年09月01日 【町制施行】谷山村⇒谷山町

1934年08月01日 【編入】吉野村中郡宇村西武田村⇒鹿児島市

1950年10月01日 【編入】伊敷村東桜島村⇒鹿児島市

1956年09月30日 【分割編入・町制施行】郡山村・下伊集院村大字有屋田および大字嶽⇒郡山町(下伊集院村の残りの区域は伊集院町東市来町および日吉町に編入)[9]

1956年10月15日 【町制施行】喜入村⇒喜入町

1958年10月01日 【市制施行】谷山町⇒谷山市[10]

1960年04月01日 【町制施行・改称】上伊集院村⇒松元町

1967年04月29日 【新設合併】鹿児島市・谷山市⇒鹿児島市

1972年11月01日 【町制施行】吉田村⇒吉田町[11]

1973年05月01日 【町制施行・改称】西桜島村⇒桜島町

2004年11月01日 【編入】吉田町桜島町松元町郡山町喜入町⇒鹿児島市[12]

市制施行時の町名市制町村制施行時(1889年時点)

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}市制施行時に鹿児島府下(旧・鹿児島城下)の上町(かんまち)と下町(しもまち)、上町及び下町にも属さない鹿児島府下の区域、西田村、塩屋村、荒田村の区域を以て鹿児島市として成立した。[要出典]市制が施行されたのに伴い上記の鹿児島府下の47町及び西田村、塩屋村、荒田村にあたる区域を以て、鹿児島市として発足。従来の町は町丁に、村は大字となった。[要出典]

上町は市制施行時の小川町、和泉屋町、恵美須町、車町、栄町、柳町、浜町、向江町の区域にあたり[13]、鶴丸城の堀の西端部から海岸へ流れる名山堀より北側の区域に該当する[14]。上町は鎌倉時代より守護が居住していた東福寺城の城下に守護町が形成されたのが始まりであると言われており、その後現在の鹿児島市立清水中学校付近に移転したころより町屋が広がり始め、町屋敷群が形成された。また、海沿いに位置していた恵美須町などは海運、漁業などで栄え、それに従事する者や商人などが居住していた[14]


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