鹿児島交通枕崎線
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「枕崎線」はこの項目へ転送されています。鹿児島市と枕崎市を結ぶJR九州の「指宿枕崎線」とは異なります。

枕崎線
南薩鉄道2号機関車
(加世田バスセンター)
概要
現況廃止
起終点起点:伊集院駅
終点:枕崎駅
駅数23駅
運営
開業1914年4月1日 (1914-04-01)
廃止1984年3月18日 (1984-3-18)
所有者南薩鉄道→鹿児島交通
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長49.6 km (30.8 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
最急勾配25

路線図


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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例


鹿児島駅


国鉄鹿児島本線


0.214伊集院駅


国鉄:鹿児島本線


大田トンネル 352m


4.424上日置駅


7.878日置駅


10.646吉利駅


12.765永吉駅


16.114吹上浜駅


17.005薩摩湖駅


18.155伊作駅


19.986南吹上浜駅


22.675北多夫施駅


24.603南多夫施駅


26.676阿多駅


知覧線-1965


万之瀬川


万世線-1962


28.961加世田駅


加世田トンネル 322m


31.035上加世田駅


32.393内山田駅


33.818上内山田駅


36.385干河駅


38.925津貫駅


40.335上津貫駅


41.515薩摩久木野駅


44.288金山駅


47.638鹿籠駅


49.568枕崎駅


国鉄:指宿枕崎線

枕崎線(まくらざきせん)は、かつて鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)の伊集院駅から、同県加世田市(現・南さつま市)の加世田駅を経て、同県枕崎市枕崎駅までを結んでいた鹿児島交通鉄道路線である。

1914年(大正3年)に南薩鉄道株式会社(鹿児島交通の前身)によって日置郡中伊集院村の伊集院駅から川辺郡加世田町の加世田駅までの区間が開通し、1931年(昭和6年)に加世田駅から川辺郡枕崎町の枕崎駅までが開通し全線が開通した。1983年の豪雨被害により一部区間が不通となり、翌年1984年(昭和59年)に廃止された。南薩線(なんさつせん)と呼ばれ親しまれていた。

枕崎線からは、支線として万世線および知覧線が分岐していた。
路線データ

路線距離(
営業キロ):伊集院 - 枕崎間 49.6km

軌間:1067mm

駅数:23駅(起終点駅含む。廃止時点)

複線区間:なし(全線単線

電化区間:なし(全線非電化

閉塞方式:タブレット閉塞式(末期の加世田 - 枕崎間はスタフ閉塞式)

概要

1914年(大正3年)に南薩鉄道によって開業して以来、薩摩半島の重要な交通機関として役割を果たしてきたが、1960年代に入ると南薩鉄道は経営難に陥り、1964年(昭和39年)9月に大隅半島でバスを営業していた三州自動車に合併され鹿児島交通が成立した。以降も鉄道部門は貨物輸送の廃止などの合理化を進めたが、沿線人口の減少や自動車の普及に加えて、沿線から鹿児島に向かう客も同社のバスに流れるようになった。

1970年代に入ると車両や設備の老朽化も著しくなり、1982年(昭和57年)12月には会社も鉄道廃止の方針を打ち出した。労働組合や地元は廃止に反対したものの、1983年(昭和58年)6月の豪雨で大きな被害を受けたことがとどめを刺す形になった。同年7月に日置 - 加世田間は運行を再開したものの、伊集院 - 日置間と加世田 - 枕崎間は復旧しないまま1984年(昭和59年)3月18日の廃止を迎えた。

加世田駅の跡にできた鹿児島交通加世田バスセンター内に、石造りの元倉庫を利用した南薩鉄道記念館の建物がある。2005年(平成17年)から2006年(平成18年)頃にかけて隣接する商業施設の拡張工事のために休館していたが2007年(平成19年)現在は再開されている。ただし、この休館に際して往時の車両を展示していた建物が解体され、車両は隣接するバスの整備工場内に移動して保存されており、近くから見ることはできない。また、DD12と2号機関車(現在は4号機関車に置き換え)は屋外に展示されている。このほかにも、伊集院 - 枕崎のバスに乗ると、至るところで当時の遺構を車窓から見ることができる。南薩鉄道DD12(加世田バスセンター)
運行形態

末期は、1日10往復程度、日中は2時間に1本が運転されていた。すべて普通列車で、一部は加世田駅折り返し。1日3往復が、伊集院駅から国鉄西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)へ直通運転していた。その他、朝ラッシュ時に加世田 - 薩摩湖間、夜間に伊集院 - 日置間の区間運転列車が各1往復ずつ運転されていた。

1983年(昭和58年)の豪雨災害後は、日置 - 加世田間折り返し運転となり、廃止までその状態だった。この際、西鹿児島直通列車のうち、国鉄線内の区間については、しばらくの間鹿児島交通の車両により運転が継続された。伊集院 - 日置の大田トンネルは漏水かつ落石の可能性があったためバス代行となっていたが、国鉄線内に使用する車両の保守の際は、この区間を回送扱いで運転していた[1]
車両

末期の使用車両は以下のとおり。

キハ100形 -
国鉄キハ42600形と準同型の自社発注車。1952年に兵庫県の川崎車輌にてキハ101 - キハ106の6両が新造された。なお、国鉄キハ42000形系統の準同型車は、戦前に台湾総督府鉄道、戦後はここ南薩鉄道と北海道の夕張鉄道の2社が発注したのみで、少数派であった。エンジンは当初DMH17を搭載し、変速機は機械式とキハ42600形と同等だが、最終減速機の歯数比が低く勾配線での使用に備えている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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