「鷺宮」とは異なります。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目に含まれる文字「葛」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。「葛」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。
わしみやまち
鷲宮町
鷲宮神社(旧大鳥居)
鷲宮町旗鷲宮町章
1955年3月制定
廃止日2010年3月23日
廃止理由新設合併
鷲宮町、久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡栗橋町 → 久喜市
現在の自治体久喜市
廃止時点のデータ
国 日本
地方関東地方
都道府県埼玉県
郡北葛飾郡
市町村コード11462-6
面積13.90 km2.
総人口36,544人
(推計人口、2010年2月1日)
隣接自治体埼玉県加須市、久喜市、幸手市、北葛飾郡栗橋町
町の木月桂樹
町の花コスモス
鷲宮町役場
所在地〒340-0295
埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮六丁目1番1号
外部リンク ⇒旧鷲宮町ホームページ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度06分01秒 東経139度40分02秒 / 北緯36.10031度 東経139.66725度 / 36.10031; 139.66725
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
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鷲宮町(わしみやまち)は、かつて埼玉県の北東に存在していた町である。「鷲宮神社」の鳥居前町である。2010年(平成22年)3月23日、同県久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡栗橋町と新設合併して消滅した。現在でも旧鷲宮町域を総称して鷲宮地区という。
近年開設された東鷲宮駅周辺で「東鷲宮ニュータウン」の開発が進められており、人口は現在も増加傾向にある[1]。東京都区部への通勤率は20.4 %(平成17年国勢調査)。旧・南埼玉郡(武蔵国埼玉郡)、のち北葛飾郡旧桜田村と合併後は北葛飾郡に属した。 関東平野のほぼ中央部に位置し、低地が中心の地形である。東武伊勢崎線が南東部から北西部へと縦断し、JR東北本線(宇都宮線)が南北を縦断する。また、東北新幹線が東部を通過する。町の面積は埼玉県内で3番目に狭かった。 注意:ここに記した旧鷲宮町は1955年(昭和30年)1月1日合併以前の町域を対象としており、桜田地区に関しては桜田村の項を参照されたい。 以下は各大字に対する小字地である。 大字鷲宮は明治合併以前、鷲宮村(わしのみやむら)であった。 大字上内は明治合併以前、上内村(うえうちむら)であった。 大字葛梅は明治合併以前、葛梅村(くずめむら)であった。 大字中妻は明治合併以前、中妻村(なかづまむら)であった。 大字久本寺は明治合併以前、久本寺村(くほんじむら)であった。 古墳時代の土師部の居住地の宮「土師宮」の転訛である「鷲宮」(わしのみや)を合併(桜田村との昭和時の合併)の為、地方公共団体の名称として読みを「わしみや」としたもの。こういった事情から駅名や神社名などは現在でも「わしのみや」の読みが使われている。なお、町内の地名「鷲宮」については住居表示が実施されている鷲宮一丁目から鷲宮六丁目では「わしみや」、未実施の大字鷲宮では「わしのみや」が正式な読みとなっており錯綜していたが、久喜市ほか2町との合併後は全て「わしのみや」に統一された[2]。
地理
地名
鷲宮地区
上内
久本寺
葛梅
栄
砂原
中妻
鷲宮
中央(現:鷲宮中央)
桜田地区
上川崎
桜田
外野
西大輪
東大輪
八甫
河川
中川
北側用水路(北側用排水路)
葛西用水路
天王新堀
青毛堀川
青毛新堀川
稲荷台用水
椎名落川
中落堀川
新川用水
江川堀
大中落悪水路
中落悪水路
平沼落川
池沼
宝泉寺池
光天之池
弦代公園調節池
沼井公園調節池
旧鷲宮町
鷲宮(わしのみや)
大境(おほさかひ)
遠下(とうしも)
内下(うちした)
女体(によたい)
新田前(しんでんまへ)
蔵ノ迫戸(くらのせと)
久保(くぼ)
前通(まへとほり)
二枚橋(にまいはし)
中島(なかしま)
前川原(まへかはら)
諏訪(すはう)
上手(かみて)
内美輪(うちみわ)
中新井(なかあらゐ)
川原(かはら)
上川原(かみかはら)
上新井(かみあらゐ)
南天王(みなみてんわう)
善久(ぜんきう)
平野(ひらの)
池の台(いけのたい)
外美輪(そとみわ)
北天王(きたてんわう)
外古川(そとこかは)
内古川(うちこかは)
堤外(つつみぐわい)
台通(だいとほり)
金山(かねやま)
中郷内(なかがううち)
諏訪木(すはうき)
天神脇(てんじんわき)
新宿(しんしゆく)
大裏(おほうら)
平間(ひらま)
外穴辺(そとあなべ)
内穴辺(うちあなべ)
内野(うちの)
神明裏(しんめいうら)
堀の内(ほりのうち)
内前野(うちまへの)
美津児(みつご)
大塚越(おほつかこえ)
中立(なかたて)
宮前
前沼(まへぬま)
蒲原(かばはら)
内荒久(うちあらく)
前荒久(まへあらく)
社宮司(しやぐうし)
北野(きたの)
中亀(なかかめ)
野尻(やしり)
上内(うえうち)
間道(あひのみち)
亀尻(かめしり)
椎名(しひな)
砂原(すなはら)
宿(しゆく)
葛梅(くずめ)
七曲(ななまがり)
屋敷前(やしきまへ)
堤下(つつみした)
外野(そとの)
中妻(なかづま)
台(たい)
道下(みちしも)
東(ひがし)
八反田(はつたんだ)
仏田
蛭田(ひるた)
下陰(しもかげ)
椎名(しひな)
蓮川原(はすかはら)
北八反田(きたはつたんだ)
宮田(みやた)
押切(をしきり)
外野上(そとのかみ)
高浦(たかうら)
宮沼(みやぬま)
前田(まへた)
久本寺(くほんじ・きゅうほんじ)
新田(しんでん)
谷田(やでん)
本田(ほんでん)
上櫛毛(かみくしけ)
下櫛毛(しもくしけ)
歴史
町名の由来
沿革
古代から中世までは武蔵国埼玉郡、旧桜田村は下総国葛飾郡に属し、近世以降葛飾郡域も武蔵国に編入された。
1193年(建久4年) - 鷲宮神社より鎌倉幕府へ乱世の前触れがあった折を伝えると、源頼朝より鷲宮神社へと馬が奉納された。
1203年(建仁3年) - 源実朝より鷲宮神社へ馬が奉納される。
1591年(天正19年) - 徳川家康より鷲宮神社へ寺社領が寄進される。
1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。
1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
1873年(明治6年) - 鷲宮学校・大輪学校・川崎学校・八甫学校が開校する。
1874年(明治7年) - 中妻学校が開校する。
1877年(明治10年) - 上内学校が寿徳寺に開校する。
1884年(明治17年) - 南埼玉郡台村の五十嵐八五郎が梨栽培を南埼玉郡北部周辺に伝える。
1886年(明治19年) - 鷲宮学校・中妻学校・上内学校が合併し上内学校となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い鷲宮村・上内村・葛梅村・中妻村・久本寺村が合併し、南埼玉郡鷲宮村(わしのみやむら)となる。また八甫村・西大輪村・東大輪村・外野村・上川崎村・中川崎村・下川崎村が合併して北葛飾郡八輪野崎(やわのざき)村となる。八輪野崎村はその年のうちに桜田(さくらだ)村と改称する。
1894年(明治27年) - 上内学校が鷲宮尋常小学校となる。
1896年(明治29年) - 明治天皇が鷲宮神社を訪れる。
1902年(明治35年)9月6日 - 東武鉄道伊勢崎線鷲ノ宮(わしのみや)駅が開業する。
- 同年、鷲宮郵便局が開局する。
1908年(明治41年) - 鷲宮小学校および桜田小学校が現在地に建て替えられる。
- 同年、電信による通信が開始される。
1910年(明治43年) - 関東大水害により利根川が決壊し水害が発生する。
1916年(大正5年) - 桜田尋常小学校に高等科が設置される。
1922年(大正11年) - 鷲宮尋常小学校に高等科が設置される。
- 同年、大字八甫に初めて電燈がつく。
1923年(大正12年) - 関東大震災が発生する。
1925年(大正14年) - ラジオ放送が開始される。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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