鶴舞公園
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この項目では、愛知県名古屋市昭和区の鶴舞公園について説明しています。同じ読みの東京都町田市にある鶴間公園については「鶴間公園」をご覧ください。

鶴舞公園
Tsuruma Park[WEB 1]
鶴舞公園正面入口
(2021年(令和3年)6月)
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分類総合公園(都市公園)[WEB 2]
所在地 日本愛知県名古屋市昭和区鶴舞一丁目[WEB 2]
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度09分20.40秒 東経136度55分06.50秒 / 北緯35.1556667度 東経136.9184722度 / 35.1556667; 136.9184722座標: 北緯35度09分20.40秒 東経136度55分06.50秒 / 北緯35.1556667度 東経136.9184722度 / 35.1556667; 136.9184722
面積24.07ha[WEB 2]
開園1909年明治42年)[WEB 2]
設計者(全体計画)本多静六 [1]鈴木禎次、(日本庭園)村瀬玄中・松尾宗見[2]
運営者

名古屋市鶴舞公園整備運営事業共同事業体(指定管理者[WEB 3]
駐車場247台(2ヶ所・普通車)
告示登録記念物
事務所名古屋市緑化センター
事務所所在地〒466-0064 名古屋市昭和区鶴舞一丁目1-168 (鶴舞公園内)
公式サイト公式ウェブサイト
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鶴舞公園(つるまこうえん)は、愛知県名古屋市昭和区鶴舞(つるまい)一丁目にある、名古屋市が管理する都市公園。名古屋市が最初に設置した公園である[3]。国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。春は桜の名所として知られ、日本さくら名所100選にも選定されている。
概要上空から見た鶴舞公園(画像左下部分・1987年)。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1909年明治42年)に開設された名古屋市が設置した初の公園[3]。名古屋市では1893年(明治26年)に公園設置臨時委員会が設けられたが、精進川改修工事及び1910年(明治43年)に第10回関西府県連合共進会が開催されることになり会場の整備が必要となったことでようやく具体化した[3]。名古屋市による公園設置の申請手続は1907年(明治40年)1月26日付けで行われた[3]。当地に立地した理由は、予定していた新堀川整備に伴う大量の土砂の処理のために、当時沼地であった当地を埋め立てて整備するのが効率的と考えたからである。

なお、名古屋市内には既に大光院の南の清寿院があった跡に1879年(明治12年)に県営の浪越公園が開設されていた[4]。しかし、鶴舞公園の開園に伴い、県営の浪越公園は1909年(明治42年)1月29日告示により廃止された[3]。公園機能は鶴舞に移転したが、1910年(明治43年)12月26日に県から市に一部の土地が譲渡され古墳の跡が残る浪越公園跡にも小公園が再整備された[3][4](那古野山公園、のちの那古野山古墳公園)。
整備

公園としての本格的な造園工事は共進会が終了した後に始まった[3]動物園の開園(後に東山に移転)、図書館建設、普選記念壇普通選挙制度の成立を記念)を名古屋新聞社(現・中日新聞社)より寄贈、名古屋市公会堂の建設(昭和天皇の成婚記念)と整備した。

和洋折衷の大公園が完成したのは1920年(大正9年)頃といわれている[3]

戦後の一時期は進駐軍が使用し、市民の利用を制限した。現在では八幡山古墳を除く全域を市民に開放している。春から夏にかけては、桜、チューリップ、バラ、菖蒲、紫陽花と多くの花を見ることができ、4月から6月にかけては花まつりを開催する。特に桜については、さくら100選に選ばれるほどである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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