鶴竜 力三郎
基礎情報
四股名鶴竜 力三郎
本名マンガラジャラブ・アナンダ
Мангалжалавын Ананд
愛称アナンダ
生年月日 (1985-08-10) 1985年8月10日(38歳)
出身 モンゴル・スフバートル市
身長186cm
体重154kg
BMI43.94
所属部屋井筒部屋→陸奥部屋
得意技右四つ・下手投げ・双差し・押し
成績
現在の番付引退
最高位第71代横綱
生涯戦歴785勝497敗231休(115場所)
幕内戦歴645勝394敗231休(85場所)
優勝幕内最高優勝6回
三段目優勝1回
賞殊勲賞2回
技能賞7回
データ
初土俵2001年11月場所
入幕2006年11月場所
引退2021年3月場所
引退後年寄・鶴竜→音羽山
趣味スポーツ観戦
備考
2023年12月27日現在■テンプレート ■プロジェクト 相撲
鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう、1985年〈昭和60年〉8月10日 - )は、モンゴル国スフバートル市出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士、第71代横綱(2014年5月場所 - 2021年3月場所)。本名はマンガラジャラブ・アナンダ[注 1][2][3]、モンゴル国籍時代の本名(カタカナ表記)も同じ[注 2]。愛称はアナンダ。身長186cm、体重154kg、血液型はA型、趣味はスポーツ観戦。得意手は右四つ、下手投げ。実際に生まれ育ったのはウランバートル市内だが、取組前の呼び出しでは父親の出身地であるスフバートル市を自身の出身地としている[注 3]。好物は焼肉(特にハチノス)[4]、キムチ、納豆。
四股名の「鶴」は部屋ゆかりの四股名である「鶴ヶ嶺」[注 4]から、「力三郎」は尊敬する井筒部屋の大先輩・寺尾が新十両場所だけ名乗っていたゆかりの四股名「源氏山」の下の名前に由来する。締め込みの色は引退時で紺色。 現在は年寄・音羽山。 大学教授一家の裕福な家庭に生まれ、幼少時にはテニス・バスケットボールなど、当時の庶民の子弟には高嶺の花と言えるスポーツに親しむことができ、レスリングにも励んだ。親の影響で勉学にも励む優等生であった。裕福な家庭環境から自宅でNHKの相撲中継を視聴することができたため、当時興っていたモンゴル国内における「相撲ブーム」に接して、同郷の旭鷲山などの活躍に憧れて力士を志した。花籠部屋の選考会に参加したが、一旦は不合格となった。しかし諦めきれず、雑誌「グラフNHK」の広告で相撲愛好会(日本相撲振興会)の存在を知り、父が勤務する大学で日本語を教えていた同僚に頼んで自身の決意文を和訳してもらい、それを同振興会の会長・時田一弘宛に入門希望の手紙として送った。これを受領した時田会長は、同志の鈴木賢一と相談の上、15代井筒(関脇・逆鉾)に諮って井筒部屋に入門させ、2001年9月に来日、同年11月場所に初土俵を踏むに至った[5]。 井筒部屋に入門した2001年9月の時点では65kgしかなく、15代井筒は最初「床山にでもするか」と思ったという。だが3カ月で82キロまで増やし、新弟子検査に合格した鶴竜の笑顔を見て15代井筒は「こいつを育てなきゃ可哀想だ」と感じた[6]。入門当初から物覚えが良く、廻しの切り方は1度で覚え、日本語は来日1年で堪能になったという。また、納豆も平気で食べられるなど日本食にも初めから適応できていた[7]。同期生によると、相撲教習所時代には準備運動のランニングでいつも先頭を走るなど当初より向上心の高さが垣間見られたといい、同期の元幕内・隆の山は引退会見で「毎朝2人で先頭を走り、『寒いから早く走って中で暖まろうぜ』と片言の日本語で話していました」と当時の様子を述懐していた[8][9]。
来歴
モンゴル時代
大相撲入門以後
2009年まで2008年