鶴澤清六
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鶴澤 清六(つるさわ せいろく)は、義太夫節三味線方の名跡。初代より清六紋を使用している。八代目綱太夫は自著『でんでん虫』において「(三代目)清六師匠は「せ(世)」の字六つが輪になった中に「い」の字を入れた御自身の紋をつけた肩衣を召しておられました」と記している[1]清六紋(世が六ツの中にい)
初代

(文化10年(1813年) - 明治11年(1878年5月24日[2]※『義太夫年表 明治篇』は5月23日とする。[3]

初代鶴澤徳太郎 → 初代鶴澤清六

本名:鶴澤徳太郎。屋号:萬屋。俳名:糸鳳。[4]大坂南船場出身。二代目鶴澤清七(笹屋清七)の門弟。通称:畳屋町。
一門

師匠は二代目鶴澤清七。祖父師匠は初代鶴澤清七。兄弟弟子に三代目鶴澤清七初代鶴澤勝七、初代鶴澤重造、初代鶴澤燕三。門弟に二代目鶴澤徳太郎、二代目鶴澤清六(三代目徳太郎)、二代目鶴澤勝七二代目鶴澤吉左衛門五代目鶴澤ェ治(初代寛治郎)、鶴澤清三郎、鶴澤清五郎、鶴澤清鳳、五代目花澤伊左衛門(四代竹本播磨太夫)、花澤鶴右衛門、花澤鳳六[5]。孫弟子に初代鶴澤道八八代目鶴澤三二四代目徳太郎)、二代目鶴澤寛治郎。曾孫弟子に四代目鶴澤清六(五代目徳太郎)、二代目鶴澤道八六代目徳太郎)、六代目鶴澤ェ治二代目野澤喜左衛門[2][3]
親族

妻は鶴澤ます[5]。娘は鶴澤きくで、最初初代豊澤新左衛門に嫁ぎ、死別の後、法善寺と呼ばれた三代目竹本津太夫七代目竹本綱太夫)の生涯の伴侶となったことから、鶴澤清六家(初代・四代)と竹本津太夫家(初代?三代)=竹本綱太夫家(七代)が一緒になった。初代豊澤新左衛門と鶴澤きくの娘である鶴澤あい(通称:おあい)[5]は、最初豊澤九市と結婚した。これは豊澤九市が二代目鶴澤清六の襲名含みで鶴澤清六家に婿入りしたためである。しかし、九市は清六家に入ってから腕が下がったととの評判が出たため、妻あいから見れば実父であり、九市からは岳父である初代新左衛門に頼み、離縁した。その後、九市は二代目豊澤團平を襲名した。その九市が弾いていた初代竹本春子太夫(三代目竹本大隅太夫)にあいは再び嫁いだ。三代目大隅太夫とあいの間の娘が鶴澤とく(通称:おとく)[5]で、祖父母である三代目津太夫と鶴澤きくに引き取られ、娘同様に育てられた。その鶴澤とくの娘が五代目鶴澤徳太郎と結婚し、初代鶴澤清六=ます夫妻から五代目にして、直系での鶴澤徳太郎⇒鶴澤清六の相続となった。また、四代目鶴澤清六の義弟である初代鶴澤清友六代目鶴澤徳太郎を襲名し、鶴澤清六家を相続。後に二代目鶴澤道八を襲名し、孫である六代目織太夫と鶴澤清馗の叔母が初代鶴澤道八家に嫁いだことで、鶴澤道八家(初代、二代)とも鶴澤清六家は縁戚となった。このように初代清六から今日まで八代にわたり家が続き、八代目竹本綱太夫五十回忌追善での六代目竹本織太夫襲名へと繋がっている。

鶴澤ます[5]…妻

鶴澤きく[5]…娘

初代豊澤新左衛門…娘婿(鶴澤きくの最初の夫)

鶴澤あい[5](通称:おあい)…孫(鶴澤きくと初代新左衛門の娘)

三代目竹本津太夫七代目竹本綱太夫)…娘婿(鶴澤きくの生涯の伴侶)

二代目豊澤團平(豊澤九市・鶴澤九市)…孫婿(おあいの最初の夫)

鶴澤とく[5](通称:おとく)…曾孫(二代目團平とおあいの娘で後に祖父母津太夫ときくに引き取られる)

初代竹本春子太夫(三代目竹本大隅太夫)…孫婿(おあいの二番目の夫)

鶴澤とくの娘…玄孫(五代目鶴澤徳太郎=四代目鶴澤清六の最初の妻)

五代目鶴澤徳太郎(四代目鶴澤清六)…玄孫婿(おとくの娘の夫。七代目綱太夫の名跡養子)
墓・碑初代鶴澤清六墓(近影)

戒名は釈清巌。墓所は四天王寺元三大師堂[6]。下記の通り一家一門で作られている。初代鶴澤清六の墓(遠景)

水鉢…三代目鶴澤徳太郎改め二代目鶴澤清六(清六名跡の後継者)徳太郎改二代目鶴澤清六(初代清六墓の水鉢)


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