鳳来寺村
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ほうらいじむら
鳳来寺村
鳳来寺村道路元標
廃止日1956年4月1日
廃止理由新設合併
鳳来寺村・長篠村大野町七郷村鳳来町
現在の自治体新城市
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方東海地方
都道府県愛知県
南設楽郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
面積74.41[1] km2.
総人口4,723人
(登録人口[1]、1955年1月1日)
隣接自治体南設楽郡新城町、長篠村、海老町作手村北設楽郡段嶺村三輪村振草村
鳳来寺村役場
所在地愛知県南設楽郡鳳来寺村大字玖老勢字上貝津18
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度59分04秒 東経137度33分38秒 / 北緯34.98436度 東経137.56067度 / 34.98436; 137.56067座標: 北緯34度59分04秒 東経137度33分38秒 / 北緯34.98436度 東経137.56067度 / 34.98436; 137.56067
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鳳来寺村(ほうらいじむら)は、愛知県南設楽郡にかつて存在したである。

豊川寒狭川)やその支流の流域から鳳来寺山東麓の山地に至る、東西に長い地域を村の範囲とした。村名は村内にある鳳来寺にちなむ。1889年明治22年)に町村制施行により発足、1956年昭和31年)に周辺の村と合併し鳳来町となって消滅した。旧村域の一部は消滅後に新城町(のちの新城市)に編入されたが、2005年平成17年)に鳳来町が作手村と新城市と合併して新城市となったため、現在は旧村域全体が同市の一部である。
歴史

江戸時代の時点で、のちに鳳来寺村となる範囲には三河国設楽郡に属す20村(うち2村は枝郷)が存在した。天正18年(1590年)に全域が吉田藩領となり、次いで慶長5年(1600年)からは徳川氏幕府領)となった。だがこれ以降次第に幕府領は分割されていき、江戸時代末期の時点では鳳来寺領・鳳来山東照宮領・旗本領と支配関係の錯綜した地域となっていた。

明治に入ると村の統合が進められ、1878年(明治11年)までに8村に整理された。町村制が施行された1889年(明治22年)にはさらに統合が実施され、鳳来寺村ほか5村へと統合された。1906年(明治39年)に残りの5村も鳳来寺村へと編入され、この地域の自治体統廃合は終了した。以降しばらく町村合併は行われないまま推移したが、昭和の大合併の一環として1956年(昭和31年)鳳来寺村は周辺自治体と合併して鳳来町の一部となり、消滅した。この直後、村域のごく一部は隣町の新城町(後の新城市)に編入されている。
年表

天正18年(1590年) - 全域が
吉田藩領(池田輝政領)となる[2]

慶長5年(1600年) - 全域が徳川氏領(江戸幕府成立後は幕府領)となる[2]

慶長7年(1602年) - 門谷村(かどやむら)・黒谷村(くろやむら)・峰村(峯村、みねむら)・田代村(たしろむら)の4村が鳳来寺領に[2]

寛永16年(1639年) - 塩ノ谷村(塩谷村、しおのやむら)・葛村(かずらむら)・塩平村(しおだいらむら)・栃下村(とちしたむら)の4村が水野氏領(新城藩領)に[2]

寛永17年(1640年) - 大石村(おおいしむら)・只持村(ただもちむら)・塩瀬村(しおせむら)の3村が水野氏領(新城藩領)に[2]

正保元年(1644年) - 塩ノ谷村・葛村・塩平村・栃下村の4村が幕府領に復帰[2]

正保2年(1645年) - 大石村・只持村の2村が幕府領に復帰[2]

慶安元年(1648年) - 布里村(ふりむら)・上一色村(かみいっしきむら)・下一色村(しもいっしきむら)・源氏村(げんじむら)の4村が旗本新城菅沼氏に、塩ノ谷村・葛村・塩平村・栃下村・大石村・只持村・塩瀬村・恩原村(おんばらむら)・大輪村(おおわむら)・島田村(しまだむら)の10村が旗本海老菅沼氏の知行に[2]

明暦2年(1656年) - 海老菅沼氏知行地のうち塩谷村・葛村・塩平村・栃下村の4村が鳳来山東照宮領に[2]。これ以降支配関係の変動はなく幕末に至る。

1872年(明治5年) - 上一色村・下一色村の2村が合併し、一色村(いっしきむら)が発足[* 1][2]

1875年(明治8年) - 門谷村が黒谷村・峰村(峯村)・田代村の3村を合併[2][3]

1876年(明治9年) - 塩平村萩平・平谷を大石村に、大石村五領を塩平村に編入[4]

1878年(明治11年)[* 2] -

塩ノ谷村(塩谷村)・葛村・塩平村・栃下村と、塩平村の枝郷椎平新田(椎平村とも、しいだいらしんでん)、葛村の枝郷長楽新田(長楽村とも、ながらしんでん)の6村が合併し、玖老勢村(くろぜむら)が発足[5][2]

源氏村・恩原村・大輪村・島田村の4村が合併し、愛郷村(あいごうむら)が発足[6][2]

大石村と双瀬村(ならぜむら)の2村が合併し、副川村(ふくがわむら)が発足[4][2]。この際、大石村の飛び地と双瀬村の字川売・宮前は海老村に編入された[4]


1889年(明治22年) -

門谷村と玖老勢村、副川村の一部(旧・大石村域)が合併し、鳳来寺村が発足[7]

布里村一色村只持村塩瀬村愛郷村の5村からなる組合村が成立[8]


1906年(明治39年) - 鳳来寺村が布里村・一色村・只持村・塩瀬村・愛郷村の5村を合併[7]

1956年(昭和31年)4月1日 - 南設楽郡長篠村および八名郡大野町七郷村と合併し、鳳来町が発足[9]

1956年(昭和31年)9月30日 - 鳳来町布里(旧布里村)字七久保が新城町に編入される[9]


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