はとやま みゆき
鳩山 幸
2009年9月、ニューヨーク・メトロポリタン美術館にて
生誕 (1943-06-28) 1943年6月28日(80歳)
中華民国・上海
国籍 日本
出身校神戸海星女子学院
宝塚音楽学校
配偶者鳩山由紀夫(1975年より)
子供鳩山紀一郎(長男)
親楠瀬幸雄(父)
楠瀬秀子(母)
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鳩山 幸(はとやま みゆき、1943年6月28日 - )は、第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫の妻。
夫の由紀夫が理事長を務める東アジア共同体研究所の評議員。元宝塚歌劇団星組の娘役[1]。自身をライフコーディネーター(ライフスタイルの伝導師)と呼んでいる[2]。息子は工学者の鳩山紀一郎。 中華民国(現:中華人民共和国)の上海にて、アメリカの市民権をもつ楠瀬幸雄、秀子夫妻の二女として生まれる[3][4]。1944年、戦況の悪化から母と一緒に日本に疎開し、高知県で生活を始める[4]。その後、神戸市に引越し、神戸海星女子学院に編入した[4]。学生時代のあだ名は、変わり者を意味する「black sheep(黒い羊)」[5]。 引揚げ後、一家は高知に疎開した。近所の住民によると「みんな着物やモンペを着ていた時代に、お母さんの秀子さんはハイヒールを履いているからビックリしました。幸ちゃんも当時から華があり、フランス人形みたいにウエストがキュッとしまったワンピースを着ているんです。家には英語の本が山積みで、ご夫婦の会話が英語だったのをよく覚えています。台所をキッチンと言ってましたし、和式のトイレを洋式に改造して、座って用を足していました。私はそれが気に入って、便所を借りていたんです(笑)。こんな田舎に来るような人たちではないと言われていましたね」という[4]。 高知を1年あまりで離れて、母・秀子の実家、神戸坂口通にあった「諏訪山ホテル東館」の脇に建てられた一軒家に移った[4]。戦後間もない中、楠瀬家のライフスタイルは、日本人ではなく外国人そのものだった[4]。間もなく、幸の父、幸雄は単身渡米した[4]。 1959年、宝塚音楽学校入学。 1961年、宝塚歌劇団に47期生として入団[1]。入団時の成績は47番[1]。月組公演「春の踊り/サルタンバンク」で若みゆき(わか みゆき)として初舞台[1]。 1967年8月、宝塚歌劇団を退団[1]。 1969年12月頃には渡米しており[6]、サンフランシスコの日本料理店「蝶蝶」でマネジャーをしていた男性と結婚するが出奔する形で離婚し、1975年に鳩山由紀夫と再婚した。 鳩山由紀夫との出逢いについて、鳩山幸の回想によれば「たまたま日本に里帰りした際に知人から紹介された。その後、2人は偶然にも同じ飛行機に搭乗して再び出逢い、それから1年後にもう一度2人は偶然、サンフランシスコのダウンタウンですれ違った。運命的な出逢いだった」とされる[7]。 当時の夫が『週刊文春』や『週刊新潮』に経緯を明らかにしたところによれば、以前に、幸を日本料理屋を経営していた元夫に紹介した知人から、スタンフォード大学に留学していた由紀夫の世話を頼まれ、面倒をみることとなり、幸も由紀夫と知りあうこととなる[8][9][10]。
経歴
生い立ち
疎開
宝塚歌劇団時代
結婚
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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