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鳥類の起源(ちょうるいのきげん)とは、自然科学における課題・疑問とされるものの1つ。動物界のいずれのグループから鳥が進化したのかという科学上の疑問は、伝統的に "origin of birds"『鳥類の起源』と呼ばれている。現在の科学的コンセンサスにおいては、鳥類は獣脚類恐竜のマニラプトル類の1グループであり、中生代にその起源を有すると考えられている[1][2][3]。
鳥と恐竜の近縁性が初めて主張されたのは19世紀、ドイツで原始的な鳥類である始祖鳥が発見された後のことである。鳥と絶滅した非鳥類型恐竜は多くの独特な骨格上の特徴を共有していた[4]。さらに、30種以上の非鳥類型恐竜化石が保存された羽毛と共に採集されている。非常に小型の恐竜の中にはミクロラプトルやアンキオルニスのように前肢と後肢に翼を形成する長い正羽を持つ物がいた。ジュラ紀の基盤的な鳥群であるPedopennaにもこのような長い脚羽があった。古生物学者のLawrence Witmerは2009年に、このことは鳥類は4枚羽根段階を経て進化した事を証明するのに充分な証拠であると結論づけた[5]。化石記録からも、中空の含気骨・消化管中の胃石・営巣・抱卵など、鳥と恐竜に共通する特徴が明らかとなっている。
鳥類の起源は進化生物学において歴史的に議論の多いテーマであったが、今でも少数ではあるが、恐竜が祖先であることに異論を唱え他の主竜類型爬虫類が祖先であると提案する科学者がいる。恐竜が祖先であることを支持するコンセンサスの下でも、マニラプトル獣脚類の中から初期の鳥類を出現させた進化事象の正確な順序については議論がなされている。鳥類の飛行(英語版)の起源は別の、しかし関連した問題で、これもまたいくつもの解答が提示されている。
研究史
ハクスリー、始祖鳥、初期の研究トマス・ヘンリー・ハクスリー (1825?1895)
鳥類の起源についての科学的研究は、1859年チャールズ・ダーウィンの『種の起源』が出版された直後に始まった[6]。1860年、化石化した羽毛がドイツの後期ジュラ紀ゾルンホーフェン石灰岩から発見された。翌年ヘルマン・フォン・マイヤーはこの羽毛を Archaeopteryx lithographica として記載した[7]。1863年にリチャード・オーウェンがほぼ完全な骨格を、爪の生えた前脚や長い尾椎のある尾など爬虫類を彷彿させる数多くの特徴があるにも関わらず、鳥類として記載した[8]。
自然選択に基づく新しい進化理論への断固とした支持によって「ダーウィンのブルドッグ」として知られる生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリーは、鳥類と爬虫類の間の移行化石としての始祖鳥にすぐさま注目した。カール・ゲーゲンバウアー (Karl Gegenbaur) [9]やエドワード・ドリンカー・コープ[10]による初期の示唆に続いて、ハクスリーは1868年から始祖鳥と様々な先史時代爬虫類との詳細な比較を開始し、ヒプシロフォドンやコンプソグナトゥスのような恐竜類と最も類似性が高いことを明らかにした[11][12]。1870年代後半に発見された始祖鳥の象徴的な「ベルリン標本」は爬虫類的な歯を備えており、さらなる証拠をもたらした。コープと同様、ハクスリーは鳥と恐竜の間に進化上の関係性があることを提唱した。当時非常に大きな影響力を持つオーウェンに対してハクスリーは反論する立場に立ったのだが、ハクスリーの結論はフランツ・ノプシャ[13]をはじめとする多くの生物学者に受け入れられた。一方で他の研究者、特にハリー・シーリー (Harry Seeley)[14] は、その類似性は収斂進化によるものであると主張した。
ハイルマンと槽歯類仮説詳細は「The Origin of Birds (book)」を参照
転換点となったのは20世紀初頭にデンマークのゲアハート・ハイルマン (Gerhard Heilmann) が著した著書である。職業画家でもあったハイルマンは鳥類に学術的興味を持ち、オテニオ・アーベルの先行研究[15]を拡張して、1913年から1916年にかけて鳥類の解剖学・発生学・習性・古生物学・進化に関する自身の研究結果をいくつかに分けて出版した[16]。元はデンマーク語で書かれ Vor Nuvaerende Viden om Fuglenes Afstamning というタイトルだった彼の著作は、編集と英語への翻訳を経て1926年に The Origin of Birds として出版された。ハイルマンによる闘争している2匹の 'Proaves' 想像図 (1916)
ハクスリーと同じくハイルマンは始祖鳥と他の鳥類をできる限りの先史時代爬虫類と徹底的に比較し、やはりコンプソグナトゥスのような獣脚類恐竜が最も似ているという結論に至った。しかしハイルマンは、鳥類には左右が癒合して1つになり叉骨(暢思骨)と呼ばれるようになった鎖骨があるが、一方で鎖骨はより原始的な爬虫類には見られるものの恐竜では未だに存在が認められていないことを指摘した。彼は進化の道筋は不可逆であるというドロの法則の解釈を堅く信じていたので、ハイルマンは恐竜で一度失われた鎖骨が鳥類で再び進化したなどとはとても認めることが出来なかった。そのため彼は恐竜を鳥の祖先から除外せざるを得ず、彼らの類似性は収斂進化に因るものだとした。ハイルマンは鳥類の祖先は恐竜ではなく、爬虫類のより原始的な"槽歯類から発見されるだろうと記した[17]。ハイルマンの極度に徹底した研究手法により彼の著書はその分野での規範としての地位を確固たるものとし、鳥類の祖先についての結論は(他のほとんどの論題と同様に)その後40年にわたってほぼ全ての進化生物学者に受け入れられることとなった[18]。
鎖骨は比較的繊細な骨であるため、破壊される若しくは判別不可能なほどに損傷を受ける危険性がある。それにもかかわらず、ハイルマンが自著を記す以前に獣脚類化石の鎖骨が実際に発掘された例がいくつかあったのだが、それらは誤同定されてしまっていた[注釈 1]。1936年に原始的な獣脚類セギサウルスに鎖骨が見つかってはいた[20]ものの、恐竜における鎖骨の消失は正統的な見解となった。その次の恐竜における鎖骨の報告はロシア語論文で1983年のものだった[注釈 2]。
ハイルマンが信じていたのとは逆に、現在の古生物学者は鎖骨(多くの場合には叉骨)が獣脚類だけでなく竜盤類恐竜の標準的特徴であると受け止めている。2007年までに骨化した叉骨(すなわち軟骨ではなく硬骨でできている)は、最も基盤的なエオラプトルとヘレラサウルスを除く全てのタイプの獣脚類で発見されている[22]。