鳥羽一郎
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鳥羽 一郎
出生名木村 嘉平
別名島根 良太郎
生誕 (1952-04-25)
1952年4月25日(72歳)
出身地 日本 三重県鳥羽市
ジャンル演歌
職業演歌歌手
担当楽器
活動期間1982年 - 現在
レーベル日本クラウン
事務所鳥羽音楽事務所
共同作業者山川豊
公式サイト ⇒鳥羽一郎公式サイト

鳥羽 一郎(とば いちろう、本名:木村 嘉平(きむら よしひら)、1952年4月25日 - )は、日本演歌歌手。鳥羽音楽事務所所属。血液型B型。身長170cm。作曲家・船村徹門下出身。門下生で作る「船村徹同門会」では会長を務める[1]。同じく男性演歌歌手で、山川豊の実兄でもある。兄弟姉妹は山川豊の他にも妹が2人居る(山川豊の姉と妹)。
略歴・人物

三重県鳥羽市石鏡町出身。父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれた。鳥羽は5年間、遠洋漁船の船員としてパナマインド洋までマグロカツオの捕獲に従事。海が荒れれば命さえ落としかねない厳しい環境での心の慰めは、『別れの一本杉』『なみだ船』といった船村徹の作品だった。

一度は板前を志し、調理師免許も取得していた。だが、実弟の山川豊の東京での活躍もあり、もともと抱いていた歌手への想いを断ち切れず27歳で上京。かねてから憧れの存在だった船村に弟子入りし、3年間の修行生活を経て1982年、出身地に由来する芸名をつけて『兄弟船』で歌手デビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「潮の香りが似合う男」。「海の男」という、それまで殆ど取り上げられなかった独自の路線を開拓してその年の新人賞を総なめにする。このとき、既に30歳を迎えていた。

弟の山川がしなやかに「大人の色気」を歌い上げるのに対し、鳥羽の演歌は、大海原を相手に日々格闘する漁業従事者たちの「心意気」や「絆」を力強く歌い上げるものである。またテレビ番組において船に乗り込み漁に出るようなロケがあったり、漁師や仕事で船に乗っている人が出演すると挿入歌として「兄弟船」が流されることが多い。

1985年に初出場したNHK紅白歌合戦は、2007年で20回目の出場を数えた[2]。なお、全国に12個の歌碑が建設されている。数々の音楽賞の他、海難遺児の進学機会確保のための80回に及ぶ献身的なチャリティー活動などが評価され、7度の紺綬褒章受章歴もある。

2006年に歌手デビュー25周年を迎え、1月11日に記念曲第1弾『母の磯笛』を発売。

二人の息子も芸能人である。長男の木村竜蔵が歌手・作曲家として次男の木村徹二も歌手・作詞家としてそれぞれ活動している[3][4]
エピソード
紅白歌合戦

1985年に紅白初出場を依頼された時は、「ただただ“夢が叶った”と打ち震えていた」という[5]。翌年弟の山川豊が初出場して自身は落選したため焦ったが、母から「同じ年の紅白に兄弟二人で出たいなんて贅沢言っちゃあかん」と慰めてくれたという[5]。その後1992年に山川と「同じ年の紅白に出場する」という夢が叶い、さらに2005年には「海の匂いのお母さん」で山川との兄弟デュエットの形で出場を果たした。

鳥羽にとって紅白の思い出は、「和気あいあいとした楽屋での出演者との交流」としている。普段の歌番組では歌手同士とあまり交流はないそうで世間話などもないという。しかし、紅白という大舞台を前に、楽屋では誰もが他の歌手たちと世間話をして緊張を何とかほぐし合っていた。さだまさしや西城秀樹などと会話をしたという[5]
チャリティー活動

漁師時代に数多くの友人を海難事故で亡くした経験から、鳥羽は1988年より、海難遺児救済活動の一環として『海難遺児チャリティー・漁港コンサート』を定期的に開催。その回数は80回を数える。これは、個人によるチャリティー活動では異例の数字である。それ以外にも北海道南西沖地震チャリティーコンサートを山川豊と共催するほか、全国の刑務所への慰問も積極的に行っている。1998年2月、全国各地の刑務所への積極的な慰問などが評価され、服役者の社会復帰を支援する「保護司」に就任。
その他

1981年、実弟の山川豊が第12回日本歌謡大賞・優秀放送新人賞候補にノミネートされているのをテレビで見て、たまらず会場の日本武道館に直行。制止する警備員を振り切り(当時鳥羽はまだ歌手デビュー前だった)、放送音楽新人賞を受賞した山川と共に、涙ながら抱擁する一幕があった。

1986年第37回NHK紅白歌合戦には、北島三郎山本譲二が年始に暴力団稲川会新年会に出席したことで辞退に追い込まれ、角川博とともに代役に充てられた。しかし、「自分もこのような暴力団との仕事上の付き合いはある。歌手ならこのような付き合いは避けられない」とNHKの偽善を批判して辞退した(その代役にはシブがき隊が充てられた)。

1991年北海道茅部郡鹿部町に「鳥羽一郎共和国」を建国。大統領に就任。

2000年3月13日に山川豊と共に三重県観光大使に就任。

2003年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、「兄弟船」を初めとする代表曲で背景映像に鳥羽本人が出演する映像が多く採用されている。


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