鳥嶋和彦
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とりしま かずひこ
鳥嶋 和彦
生誕 (1952-10-19)
1952年10月19日(71歳)
日本新潟県小千谷市
国籍 日本
別名マシリト
民族日本人
出身校慶應義塾大学法学部
職業ブシロード社外取締役、元白泉社顧問雑誌編集者
活動期間1976年 -
団体元一ツ橋グループ
肩書き週刊少年ジャンプ第6代編集長
Vジャンプ初代編集長
白泉社前社長
任期1996年2月 - 2001年6月
前任者堀江信彦
後任者高橋俊昌
配偶者あり
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鳥嶋 和彦(とりしま かずひこ、1952年昭和27年〉10月19日 - )は、日本の編集者実業家。元白泉社顧問

週刊少年ジャンプ』(集英社)の編集に長らく携わっており、特に鳥山明を見出し、編集担当したことで知られる。
経歴

新潟県小千谷市出身。実家は小千谷駅前で洋品店を営んでいた。新潟県立小千谷高等学校を経て[1]慶應義塾大学法学部を卒業後、1976年昭和51年)、集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、以後一貫してジャンプ関連の雑誌・書籍の編集を担当。漫画以外にも、企画ページの『ジャンプ放送局』、『ファミコン神拳』などの編集や、連載漫画のメディアミックス化を手がけたり、さくまあきら堀井雄二などの外部の人間を起用しゲームの世界に導いたり、『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)誕生にも一役かっている。その流れから、1993年平成5年)には創刊編集長として、後輩の高橋俊昌とともにゲーム雑誌『Vジャンプ』を立ち上げた。

本来、『週刊少年ジャンプ』の第5代編集長の最有力候補とされていたが、第4代編集長であった後藤広喜による「ちゃぶ台返し」により、鳥嶋にとっては後輩の堀江信彦が就任した。第3代編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に、その経緯が詳しく書かれている。

1996年(平成8年)2月に『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され6代目編集長に就任。『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果、1997年(平成9年)には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われたものの、この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。以後2001年(平成13年)6月まで『週刊少年ジャンプ』の編集長兼発行人となった[注 1]

その後、『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』を統括する第3編集部部長に昇格する。週刊ジャンプ発行人は引き続き鳥嶋名義で対応していた。2003年(平成15年)1月、鳥嶋の後任であった高橋が急逝した際は、追悼号となった2003年11号限りの編集長兼発行人として、高橋の追悼メッセージを掲載した。翌週号からは副編集長であった茨木政彦の編集長への昇格人事を行った。以降は週刊ジャンプ発行人としての任務は2008年に茨木から後任の佐々木尚にバトンタッチするまで続いた。

その一方で、週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価から、ライツ事業部部長に抜擢され兼任、2004年(平成16年)8月には集英社常勤取締役となる。なお、引き続き第3編集部部長職であり、2006年(平成18年)7月まで兼任していた。2008年(平成20年)6月設立の小学館集英社プロダクション取締役を兼任[2]2009年(平成21年)8月には集英社常務取締役、2010年(平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任[3]2015年(平成27年)8月に退任し、同年11月より白泉社代表取締役社長に就任する[4][5]2018年(平成30年)11月より白泉社代表取締役会長に昇任。2021年令和3年)に白泉社代表取締役会長を退任し、白泉社顧問に就任[6]。2022年11月30日に白泉社顧問を退任後、社友となる[7]。同年12月23日の臨時株主総会の承認を経てブシロード社外取締役に就任[8]

2020東京オリンピック・パラリンピックのマスコット審査会メンバーの一員。
編集者として

就職の際に自分の適性を自己分析した際、人より秀でているのが「人より多く本を読んでいる」ことぐらいしかなく、就ける職業が作家か編集者ぐらいと考えたが、作家として必要な「何かを発想して、その発想を深め続けること」ができないと実感して編集者の道を志す[9]。第一志望は文藝春秋だったが、当時はオイルショックの翌年で採用がなく、最終的に就職試験に受かったのが生命保険会社と集英社だったという[9]。集英社では『月刊プレイボーイ日本版』に関わりたいと考えていたが、配属になったのが『週刊少年ジャンプ』編集部で(本人曰く「がっかりした」[10])、それまで『ジャンプ』はおろか漫画すら一切読んだことがなく、実際に『ジャンプ』のバックナンバーを読んでも一つも面白くなく[9]、編集部内の体育会系の雰囲気を嫌ったこともあり[11]、配属されて一週間で転職を考えるようになったという[9]。「そもそも漫画が好きではない」というスタンスはその後の編集者としての立ち位置にも大きく影響しており、後に「漫画がすごいのではなくて、子どもが支持する媒体で他に読むものがないから消去法で漫画を読んでいるだけ」「言いたいことを言った結果、漫画編集を外してもらえればラッキーくらいに思っていた」「資本主義なので数字さえ出せばいい。最前線で結果を出す人間が最も尊い」と語っている[12]。一方で、資料室にあった他の漫画を片っ端から読み、特に読みやすかったというちばてつやの『おれは鉄兵』を徹底的に分析し、コマ割りの手法を新人漫画家の指導に応用した[13][14]

最初に担当したのは『ドーベルマン刑事』の作画を担当していた平松伸二で、平松とはまともにコミュニケーションを取るのに3か月を要したという[15]。鳥嶋が担当して3か月後には打ち切りの予定だったという『ドーベルマン刑事』だが、平松が「細面の美人タイプ」として描いていた新キャラクター・綾川沙樹を、榊原郁恵のグラビアを見せながら「こういうイメージにしたい」と平松にアドバイスし、全て書き直させた結果、読者アンケートで3位に浮上し、後に原作の武論尊が綾川をメインに直した続編を作り、それが読者アンケート1位を獲得することになって、漫画編集者の仕事のおもしろさを感じるようになり、これが働くモチベーションにつながったという[16]

鳥山が新人賞に応募した原稿を最初に見たときは「原稿がきれいだな」と思ったという。内容が『スター・ウォーズ』のパロディだったために規定により選外となるものの、すぐに鳥山に電報を打って「才能があるから僕と一緒にやろう。すぐに絵コンテを作って送ってほしい」と持ちかけ、その絵コンテを『ワンダー・アイランド』として読み切り掲載にこぎ着けるも、読者アンケートでは最下位となる[17]


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