鳥居 断三(斷三、とりい だんぞう、1838年(天保9年[1]) - 1911年(明治44年)1月27日[1])は、幕末の大垣藩士。明治時代の官吏。判事。弁護士。三河県知事。柏崎県参事。大審院判事、東京始審裁判所長、東京重罪裁判所長。本姓は平、名は重雄[1]。 美濃大垣藩士[1]。戊辰戦争では1868年(慶応4年1月)大垣藩軍事副総裁助役、のち同藩軍事奉行として東山道先鋒軍に従い、各地を転戦した[2]。 1868年(明治元年)三河県知事に就任する[1]。ついで大垣藩権大参事[2]、1869年(明治2年)刑部少丞を経て、1872年(明治5年)柏崎県参事となる[1]。 1874年(明治7年)頃、陸軍省六等出仕を拝命し第五局第一課長兼第七課長に補され、1876年(明治9年)六等判事に転じ[1]、東京上等裁判所詰、大審院詰、1878年(明治11年)広島裁判所長を経て、1881年(明治14年)大審院判事となった[2]。 1884年(明治17年)12月11日、東京始審裁判所長[3][注 1]に補され、東京控訴院評定官を歴任後退官し、郷里の大垣で弁護士を開業した[1]。ほか、東京重罪裁判所長を歴任した[4]。 1911年(明治44年)1月27日、大垣で病没した[1]。
経歴
栄典
位階
1870年(明治3年)頃 - 従六位[1]
1884年(明治17年)2月21日 - 正六位[1]
1886年(明治19年)7月8日 - 従五位[1]
1890年(明治23年)7月30日 - 従四位[2]
1911年(明治44年)1月27日 - 正四位[5]
勲章等
1882年(明治15年) - 勲五等双光旭日章[4]
1888年(明治21年)5月29日 - 勲四等旭日小綬章[2]
1911年(明治44年)1月27日 - 勲三等瑞宝章[5]
親族
庶子:鳥居百三(大日本帝国陸軍軍医総監)[6]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『国民過去帳 明治之巻』1200頁では東京控訴裁判所長とあるが誤りか。
出典^ a b c d e f g h i j k l 大植 1935, 1200頁.
^ a b c d e 『元判事鳥居断三特旨叙位ノ件』
^ 秦 1981, 363頁.
^ a b 『従四位勲四等鳥居断三』