鳥取県立倉吉東高等学校
過去の名称鳥取県立倉吉中学校
鳥取県立倉吉第一高等学校
鳥取県立倉吉高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 鳥取県
校訓自主・自律
設立年月日1909年(明治42年)
共学・別学男女共学
課程全日制課程
定時制課程
設置学科普通科
高校コード31111B
所在地〒682-0812
鳥取県倉吉市下田中町801番地
北緯35度26分5.8秒 東経133度50分40.5秒 / 北緯35.434944度 東経133.844583度 / 35.434944; 133.844583
鳥取県立倉吉東高等学校(とっとりけんりつ くらよしひがしこうとうがっこう)は、鳥取県倉吉市にある高等学校。略称は「倉東」(そうとう)。目次
1 概要
2 歴史
3 学校行事
4 部活動
5 著名な出身者
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
概要
歴史
1909年(明治42年)に設置された「鳥取県立倉吉中学校」(旧制中学校、男子校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制の「鳥取県立倉吉第一高等学校」(男子校)となった。その翌年公立高校の統合・再編により総合制の「鳥取県立倉吉高等学校」(男女共学)となった後、1953年(昭和28年)に倉吉高等学校が東西の2校に分離され、現校名の「鳥取県立倉吉東高等学校」が発足した。2009年(平成21年)で創立100周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程 普通科定時制課程 普通科(夜間部) ※通信制課程と併せて学ぶこと(定通併修制度)により、3年での卒業が可能。
校訓
「自主・自律」
教育方針
われわれは、豊かな文化の創造、民主的な社会及び国家の発展、平和的な国際社会の形成に進んで貢献し得る、知・情・意とも兼ね備えた、自主的・自律的で、生きる力に満ちた生徒を育むために、本校におけるあらゆる教育活動の充実と向上をはからなければならない。われわれはここに、地域に根差し且つ歴史と伝統に満ちた本校教育の更なる発展を期し、次に掲げる教育方針を定める。
基礎学力の確立 - 授業第一の充実した学習活動となるよう、予習中心の日々の家庭学習を継続できる力を養う。
英でた知性 - 基礎基本を確立して、自己の課題を設定し、自ら解決する能力を育成するため発想力および論理的自己表現力を養う。
満ちあふれる向上欲 - 自主的、主体的かつ積極的に幅広い視野に立って多方面に活躍する進取の気性を育てる。
明るく活力ある人物 - つねに、自己の言動に対し、本校生としての誇りと責任をもち集団生活において柔軟な対応とリーダーシップのとれる人物を育成する。
豊かな心情 - 心情を鍛え、豊かな情操を育む。
校章
倉吉高等学校時代の1950年(昭和25年)、石谷嘉治によって制定された。 旧制・倉吉中学校の校章(松と桜)、旧制・倉吉高等女学校の校章(松柏[1](しょうはく))にちなんでデザインされた。
校歌
作詞は吉田啓文、作曲は平井保善(平井康三郎)による。歌詞は3番まであり、歌詞に校名は登場しない[2]。
同窓会
「鴨水同窓会」と称している。
国際交流校
安養高等学校(韓国)
歴史
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
1909年(明治42年)
3月24日 - 「鳥取県立倉吉中学校」の設置が認可される。
4月1日 - 「鳥取県立倉吉中学校」が開校。修業年限を5年とする。
4月15日 - 成徳尋常高等小学校の西校舎で入学式を挙行。
1910年(明治43年)3月31日 - 東伯郡倉吉町堺町二丁目201に本校舎が完成。
1921年(大正11年)5月15日 - 校旗を制定。
1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年に短縮される。
1945年(昭和20年)
3月 - 修業年限短縮の前倒し[3]により、4年生[4]と5年生[5]の合同卒業式を挙行。
4月1日 - 戦況の悪化により、授業が停止される。勤労動員は継続される。
9月 - 終戦により、授業を再開。