鳥取しゃんしゃん祭
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鳥取しゃんしゃん祭
Tottori Shanshan Festival
若桜街道・若桜橋上(2013年)
イベントの種類地域イベント
正式名称鳥取しゃんしゃん祭
旧イベント名鳥取祭
開催時期8月中旬
初回開催1965年(昭和40年)[1][2]
会場鳥取県鳥取市[3]
主催鳥取しゃんしゃん祭振興会[3][4]
共催新日本海新聞社(市民納涼花火大会)
後援鳥取市、鳥取市観光コンベンション協会、新日本海新聞社、山陰中央新報社日本海テレビBSS山陰放送日本海ケーブルネットワークNHK鳥取放送局[4]
企画制作鳥取しゃんしゃん祭振興会
出展数出場連数96(2012年)[5]
来場者数372,000人(2012年)[6]
最寄駅JR鳥取駅[3]
駐車場有料駐車場あり
公式サイト
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拡大強小戦士 ガイナマンガイナーレ鳥取サポーター。(2013年)拡大駅前通り若桜街道交差点付近。進行方向は鳥取駅。(2013年)

鳥取しゃんしゃん祭(とっとりしゃんしゃんまつり)は、毎年8月中旬に鳥取市で開催される夏祭りである。

1961年(昭和36年)に始まった地元の神社の例祭の行列に、1965年(昭和40年)から鳥取市に伝わる伝統的な「因幡の傘踊り」を組み合わせて始まったもので、祭りの中心となる「一斉踊り」では、数千人の踊り手が傘を持って市内中心部を舞い歩く[7][8]。傘に取り付けられた鈴が「しゃんしゃん」と鳴ることや鳥取駅前の鳥取温泉の湯が「しゃんしゃん」と湧くことからその名がある[9]

見物客の人出は20万人以上に達し[10][11]、鳥取市最大の祭りになっている[12]。「一斉踊り」の参加者は100連・4000人あまりに及び、2014年に「世界最大の傘踊り」としてギネス世界記録に認定された[13]
歴史

1961年(昭和36年)の聖神社、大森神社の例祭にあわせて、経済活性化を目指して「鳥取祭」というイベントが始まった。鳥取祭の目玉は神輿行列で、これに仮装行列が加わった。1961年の第1回から1964年の第4回鳥取祭まで、当時の市長も七福神大国主花咲か爺などの仮装で参加している[14][9]。しかし「鳥取祭」の中心は氏子のパレードになっていて、祭りに加わることができる市民が限られているため活気がなかった[9]

1964年(昭和39年)は鳥取市役所の新庁舎が完成し、これに合わせて新しい「きなんせ節」の踊りが策定された。これは鳥取県の代表的で伝統的な雨乞い踊りだった「因幡の傘踊り」をもとに、多くの人が容易に参加できるように振り付けを簡単にしたもので、翌1965年(昭和40年)の祭りから採用されることになった[9][15]

イベント名も公募され、「しゃんしゃん祭」となった。これは鳥取市中心部の鳥取温泉の湯が「しゃんしゃんと湧く」、また傘に取り付けられた30個の鈴が「しゃんしゃんと鳴る」に由来するネーミングである[9]。翌年の第1回しゃんしゃん祭りの日取りは慎重に選ばれた[16]。傘は和紙でできているので、雨に濡れた傘を振り回して破れてしまっては興冷めである[16]。そのため過去の気象統計に基づいて最も雨の少ない日が踊りの開催日に決められた[16]
祭りの拡大と渋滞問題

こうして1965(昭和40)年にしゃんしゃん祭が始まった。この第1回しゃんしゃん祭では1000人が踊り子として参加した。参加者は順調に増え、1967(昭和42)年の第3回では2000人、1969(昭和44)年の第5回では3000人が踊り、見物客は10万人に達した。さらに1972(昭和47)年にはついに踊り子が4000人を突破した[14]

この間、1970(昭和45)年には三波春夫による「鳥取しゃんしゃん傘踊り」が新曲として導入された。ところが新曲の導入と踊り子の増加によって「渋滞」問題が顕在化してきた[14][17]

踊り子が練り歩くコースは1900メートルの長さの周回路になっている。ルートの若桜街道上に祭の本部が設置されていて、そこで踊り子たちの連に対する審査が行なわれるのだが、参加者が多すぎて踊り子の列が渋滞し、3時間の踊りの時間を費やしても本部前に一度もたどり着かない連が続出するようになった。そうかと思えば、前の連に遅れて離されてしまい、案内役の警備員に急かされて踊りの最中に傘を持って走る「見苦しい」姿も目立つようになった[17]。1980年代になると、周回路を2100メートルに延長したり、1連の踊り子の人数を80人に制限したりといった対策が導入されたが、抜本的な解決には至らなかった[17][14]

問題の原因の一つは増えすぎた参加者と踊り傘にあった。傘踊りは長さ1.2mの傘を振り回して踊る。踊り子自身の体や前後の間隔を考えると、踊り子の隊列はどんなに少なく見積もっても1.8メートル間隔になる。80人を5列に並べるとそれだけで道幅は最低でも7.2メートルになり、実際には観客のいる沿道スペースを必要とするので、ルートに使える道路はかなり限られている。1連80名が5列に並ぶと少なくとも長さは30メートル、それに10メートル間隔で装飾車が連毎につく。1連あたり40メートルとして、4000人(50連)が並ぶとそれだけで長さが2キロメートルにもなってしまい、当初の1900メートルのルートでは物理的に長さが不足しているのである[17]

もう1つの決定的な原因は踊りの振付にあった。当初の想定では、決められた踊りを1曲ぶん踊ると35メートル進むことになっていた。第1回しゃんしゃん祭で使われた「きなんせ節」は1曲3分だったので、3時間の開催時間のあいだ休みなく踊り続けると60曲ぶん踊る計算になり、理論上なんとか2100メートル進む勘定になる。しかし「鳥取しゃんしゃん傘踊り」は4分30秒あって、二曲を交互に踊ると平均4分、一切休憩をはさまず踊っても45曲で1575メートルしか進めない。そのうえ、35メートル進むというのは普段着で踊った場合の測定値で、本番で浴衣を着ると、特に女性の場合には歩幅がずっと小さくなり、1曲で35メートルも進めなかった[17]

そこで、踊りそのものと踊り歌の2方面から抜本的な解決策が図られることになった。新たに導入されたのが「平成鳥取音頭」と「しゃんしゃんしゃんぐりら」である。この2曲では基本的に自由な振付で踊ることとされ、1曲で進む距離は従来の倍以上になった。この結果、1991(平成3)年には100メートル進むのに平均6分で済むようになった。なお、どちらの曲も従来の伝統的な振り付けで踊ることもできる。一方、こうした理由でかつて踊られた「吉岡小唄」や「白兎小唄」は使われなくなった[17]
しゃんしゃん傘とすずっこ踊り傘の色にはそれぞれ意味がある


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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