鯨肉
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鯨肉(畝須を茹でたもの)鯨肉の刺身

鯨肉(げいにく/くじらにく) とは、食品として扱われる鯨類や、その小型種の一部の総称であるイルカ類の可食部全般を指す。狭義にはイルカ類は除く。筋肉内臓、鯨類特有の脂脂肪層)などを含む。
概説

鯨類は世界各地で鯨油など多様な利用がされてきた歴史があり、鯨肉の食用もその中の重要な用途の一つである。多様な鯨種部位に合わせて様々な嗜好や調理法も生まれ、国や地域によって様々な食文化を形成してきた。現在では商業捕鯨が大きく制限されているため、生産量が減少している。価格も商業捕鯨全盛期と比べると大きく値上がりしている。

分類学が発達する前、鯨はしばしば最大の「魚」ととらえられ、魚肉の一つという位置づけで古くから食用とされてきた。そのため、以下の記述では哺乳類の鯨を「魚」として表記する場合がある。
鯨肉の名称

鯨肉には様々な部位があって食味が異なり、調理法も分かれている。日本では、伝統的に以下のような部位に分類されてきた。ただし、方言が多い。前述のように鯨種によって取れる部位が異なったり、同じ部位でも食味が違ったりする場合がある。
部位島屋の店頭に並ぶ鯨肉。右の赤いものが鯨の畝須とそのベーコン。スーパーに並ぶクジラの本皮コロのおでん。写真は本皮を原料としたもの。さらしくじらに仕立てたオバ。黄色いものは酢味噌。

セセリ - 。「さえずり」とも言う。高級部位とされる。付け根と先端でも味が異なり、全体に脂肪が多い。「コロ」に加工されて関西のおでん種等に用いられるなどした。

オバ(尾羽) - 尾。脂肪とゼラチン質からなる。「おばけ(尾羽毛)」「おばいけ」とも。塩漬にし、後述の「さらしくじら」に用いる。

オノミ(尾の身) - 尾鰭の付け根の霜降り肉で、現在は最高級部位とされる。尾肉。刺身ステーキに用いられる。ミンククジラでは霜降り程度が弱く、厳密にはほとんど存在しない。ナガスクジラのオノミが最高級とされる[1]

ヒメワタ(姫腸) - 食道のこと。茹でて食べる。

ヒャクジョウ(百畳) - のこと。茹でて食べる。

ヒャクヒロ(百尋) - 小腸のこと。茹でて食べる。

マメワタ(豆腸) - 腎臓のこと。茹でて食べる。

フクロワタ(袋腸) - 。煮物のほか、生食も。

カラギモ - 肝臓。あまり普通の食用にはせず、肝油ドロップなどにする。

ホンガワ(本皮) - 表皮と皮下脂肪層。刺身のほか、後述の「コロ」や「塩鯨」にする。

カノコ(鹿の子) - あごからにかけての関節周辺の肉で、鹿の子状に脂肪の中に筋肉が散り、霜降り状態のもの。同じ霜降り肉でも、尾の身より歯ごたえがある。はりはり鍋や刺身で食べる。

アカニク(赤肉) - 背肉、腹肉などの脂肪の少ない部位。赤身肉。生産量の30-40%を占める最も多い部位であり、かつての学校給食にも供給された。鯨カツ竜田揚げのほか、刺身にも多く用いる。

シロデモノ(白手物) - 赤肉の対語。本皮などの皮下脂肪部分の総称。白肉。

ウネス(畝須) - ヒゲクジラの下あごから腹にかけての縞模様の畝状凹凸部分で、白い脂身部分を畝(うね)、その内側の赤い霜降り肉部分を須の子と呼び、この二つが一緒になったものが“畝須”。ベーコン材料のほか茹でても食す。

ヒゲ - 若いセミクジラのクジラヒゲが食用にされた例もある。代用醤油の原料にも使われた。

コヒゲ - 歯茎の部分。薄く切って食用にすることがある。

カブラボネ(かぶら骨) - 上あごの骨の内部にある軟骨組織。松浦漬や玄海漬に用いるほか、江戸時代には鯨熨斗(くじらのし。ホリホリとも。)という珍味にも加工された。

タケリ - ペニス江戸時代には薬効があると称された。

キンソウ - 睾丸。茹でて食べる。

ヒナ - クリトリス

加工品

食品として加工された後の名称として以下のようなものもある。

コロ - 鯨肉を揚げて油を絞った残りを乾燥させたもの。大阪で好まれ、本来は再利用であったはずが、積極的な生産対象にまでなった。本皮を原料とした一般的なコロ(煎皮とも)のほか、舌を原料とした「サエコロ」、内臓の「ダブ粕」などがある。マッコウクジラのものが庶民には親しまれた。鹿児島県では「セシカラ」と呼ぶ。

ウデモノ(茹で物) - 百尋ほか各種内臓を茹でたものの総称。

末広 - 畝須を茹でたもので、主に長崎での呼び名。断面が末広がりであることに由来。薄く切り生姜醤油などで食す。

塩鯨 - 本皮を塩漬けにしたもの。古くから山間部までかなり広く流通し、鯨汁や煮物に用いられてきた。

さらしくじら - 塩漬の尾羽毛を薄く切って熱湯をかけ、冷水でさらしたもの。酢味噌で食べる。これも「おばけ」などと呼ぶほか、白く透明な外見から「おば雪」「花くじら」とも。本皮の塩鯨も同様に調理できる。

くじらベーコン - 畝須を塩漬けにしてから燻製にしたもの。表面が赤く着色されていることが多い。薄切りしたものを軽く火であぶるなどして食べる。原料の不足から、本皮で代用されることもある。

鯨肉の食文化
欧米での食文化の流れ鯨肉のステーキ(ノルウェーの家庭料理、醤油味)アイスランドで売られているミンク鯨肉の串焼き料理。

世界各地の沿岸部で古くから鯨肉を食していたことは、考古学的研究から判明している。中世ヨーロッパにおいては、例としてビスケー湾などでバスク人によって組織的な捕鯨が行われ、鯨の舌が珍重された他、肉は広く沿岸民の食糧となった。中世ヨーロッパにおいては、特にイルカが食用として好まれ、串焼きやプディングパイなどに用いられた。変わった料理法では、捕鯨船などでまれに供されたイルカのみそのフライが挙げられる。大型鯨が食品とはみなされなくなった後も、イルカについては比較的最近まで食用とされていた。15世紀イングランド家庭料理についての本にもイルカ料理が登場する。イングランドの宮廷では17世紀頃までイルカの肉が供された。

カトリックにおける小斎のような信仰上の理由から肉食が禁じられている時に、禁忌に触れない「魚」として鯨肉を食べることも多かったようである。

しかし、沿岸鯨類資源の枯渇から沖合い・遠洋へと漁場が移動するにつれ、冷蔵冷凍技術がない当時においては持ち帰りが困難となり、徐々に食用とすることができなくなっていった。なお、鯨肉が利用されなくなったにもかかわらず捕鯨が継続された理由は、鯨油やクジラヒゲなどに工業原料としての価値があったためである。そして沿岸から離れる過程で、鯨を食用と見る発想そのものが失われていった。19世紀アメリカ合衆国の捕鯨船に救助された日本人船員も、アメリカ人船員の「大型鯨肉は毒だからと食べない」という証言を記録している。当時のアメリカ式捕鯨の対象種マッコウクジラは高級な機械油になる鯨油の元となったが、その油に蝋を含み、肉も加工せずに食べると下痢をする恐れがあり、あながち間違いともいえない[2]。こういった事情から新鮮な鯨肉が手に入り、なおかつ新鮮な食料を必要としていた捕鯨船上ですら、イルカ以外の大型の鯨については一部の船員を除けば食用とはしていなかった。ただし、19世紀に刊行されたハーマン・メルヴィルの『白鯨』にも「イルカの美味はよく知られている」という記述や、ある捕鯨船員の特殊な嗜好としてではあるが大型鯨のステーキを食べる描写もある。また、アメリカの捕鯨船上において、肉を食べる事はなかったが、小麦粉をまぶした鯨のを鯨油で揚げたフライや、鯨油自体を食用油に使っていた記録があり[3]、前述のイルカも食用とされた。

なお、後に食用に適したヒゲクジラ(主にセミクジラ)の鯨油でマーガリン生産が可能となった時にも、鯨は食品とはみなされていなかったために、鯨製品であるということは秘されて販売されていた。ただしノルウェーアイスランドなど沿岸での捕鯨が継続された地域では、例外的に鯨肉食が残存している。第二次世界大戦時のイギリスなど一部では食糧難の際の代用食として推奨されたが、あまり定着しなかった。1950年頃にも鯨油価格低下への対応策として鯨肉の商品化が検討されたが、これも失敗に終わり、ペットフードなどに転用された。


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