慶州 鮑石亭址
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(Poseokjeong Pavilion Site, Gyeongju)
大韓民国指定史跡第1号
(1963年1月21日指定)
種類遺跡・史跡
所在地 韓国
慶尚北道 慶州市拝洞454-3
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度48分26秒 東経129度12分46秒 / 北緯35.80722度 東経129.21278度 / 35.80722; 129.21278
鮑石亭(ほうせきてい[3]、ハングル: ???〈ポソクチョン〉)は、韓国の慶尚北道慶州市拝洞(ハングル: ??〈ペドン〉)にあった新羅王室の別宮(べつぐう)である。曲水の宴が催されたという鮑(アワビ)形の水路跡が残存する[4]。1963年1月21日に大韓民国指定史跡第1号として指定され、現在は慶州鮑石亭址(ハングル: ?? ????)と称される[5]。2000年11月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録された慶州歴史地域(慶州歴史遺跡地区、ハングル: ????????)の南山地区[6](慶州南山一円(朝鮮語版)〈史跡第311号[7]〉)の西の渓谷に位置する[2][5]。
歴史、668〈676〉-935年[8]〈南北国時代〉)、慶州盆地の南に位置する南山(朝鮮語版)(ナムサン)の西麓[9]北側の鮑石渓(ハングル: ???〈ポソッケ〉)に造成された[10][11]王室や貴族の[12]遊宴のための離宮であった[13]。『東国通鑑』には、城の南に離宮があったことが記され[9]、『三国遺事』によれば、第49代憲康王(けんこうおう〈ホンガンワン〉、在位875-886年)の時代に、王が鮑石亭に行幸した際、南山の神が前に現れて舞ったとある[注 1]。これにより9世紀後半に鮑石亭があったものとされ[4]、創建はそれよりあまり古くない新羅末期であろうといわれる[12]。また、『三国遺事』には、第51代真聖女王(しんせいじょおう〈チンソンニョワン〉、在位887-897年)の時代に、花郎(ファラン)の孝宗郎(ヒョジョンナン〈金孝宗(朝鮮語版)[14]〉)が南山の鮑石亭に遊山したことが記される[注 2][12][15]。
そして鮑石亭は、新羅の終焉にまつわる場所として知られる[4]。第55代景哀王(けいあいおう〈キョンエワン〉、在位924-927年)4年(927年)冬11月(天成2年〈927年〉冬10月[注 3][16])、後百済(フベクチェ)の甄萱(けんけん〈キョンフォン〉)の軍が王都に侵入したことを知らずに、王が鮑石亭で妃や嬪および一族らと宴遊していたところを突然襲われた。