魚影の群れ
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『魚影の群れ』(ぎょえいのむれ)は、吉村昭の短編小説集、またその表題作。

表題作「魚影の群れ」は、同名で映画化された。
概要

短編小説集は『海の鼠』(うみのねずみ)の題名で1973年5月に新潮社から単行本が刊行された。1983年に新潮文庫版が刊行された際、『魚影の群れ』に改名された(同年に映画化作品が公開されている)。

収録作は以下の4編で、人間と動物・自然とのさまざまな対峙を描いている。

海の鼠 (『別冊小説新潮』昭和47年(1972年)夏季号掲載)

愛媛県ねずみ騒動


蝸牛(かたつむり)

食用カタツムリ




長良川鵜飼


魚影の群れ (『小説新潮』昭和48年(1973年)2月号掲載)

下北半島沖のマグロ

「海の鼠」「魚影の群れ」の2編は『吉村昭自選作品集 第十一巻』(新潮社、1991年)にも収録されている。
刊行書誌

海の鼠 (新潮社、1973年5月)

魚影の群れ (新潮文庫、1983年7月)
ISBN 978-4-101-11715-7

魚影の群れ (ちくま文庫、2011年9月) ISBN 978-4-480-42871-4

映画

魚影の群れ
The Catch
監督
相米慎二
脚本田中陽造
製作織田明、中川完治、宮島秀司
出演者緒形拳
夏目雅子
十朱幸代
佐藤浩市
矢崎滋
音楽三枝成章
撮影長沼六男
編集山地早智子
製作会社松竹
配給松竹富士
公開 1983年10月29日
上映時間135分
製作国 日本
言語日本語
前作あの頃映画 vol.27『魚影の群れ』
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映画『魚影の群れ』は、1983年10月29日に公開された[1][2]。製作:松竹・配給:松竹富士[3][4]

本州最北端、下北半島漁港大間の頑固なマグロ漁師・小浜房次郎、房次郎が男手一つで育て上げた娘・トキ子、トキ子の恋人で一人前の漁師になろうと志す青年・依田俊一、この3者の愛憎を軸に描いた人間ドラマである[1][5][6]
あらすじ

多くの漁師が40代で辞めてしまう中で、小浜房次郎は初老を感じながらもマグロ漁を続けている。娘トキ子が結婚したいという、喫茶店をやっている依田俊一に会う。養子になって漁師になってもいいという。漁に命を賭けてきた房次郎は簡単に漁師になると言われ、無性に腹立たしくなる。店を畳んで大間に引越してきた俊一は房次郎の持ち船・第三登喜丸の前で待ち、漁を教えて欲しいと懇願する。10日以上も俊一を無視し続けたが、一緒に乗り込むのを許す。エイスケの忠告で、トキ子が家出した妻アヤのように自分を捨てるのではと怯えたのだ。不漁の日が続き、連日船酔いと闘ってきた俊一がようやく打ち勝った日、マグロの群れに遭遇する。餌が放り込まれた瞬間、マグロが引張る釣糸が俊一の頭に巻きつき、血だらけになる。だが、房次郎はマグロとの死闘を続け、マグロを仕留めた時、俊一の眼には憎悪が浮かんでいた。数ヵ月後に退院した俊一はトキ子と町を去る。

1年後、北海道の伊布港に上陸した房次郎はアヤに再会する。懐かしさと20年の歳月がわだかまりを溶かすが、ヒモの新一に絡まれ、房次郎は半殺しにし、止めに入ったアヤまで殴る。翌日、伊布沖で房次郎は生まれて初めて釣糸を切られ、ショックを受ける。

たくましくなって俊一が大間に戻って来た。ある日、俊一の第一登喜丸の無線が途絶える。一晩経っても消息はつかめず、トキ子は房次郎に頭を下げて捜索を依頼する。長年の勘を頼りに第一登喜丸を発見。300キロものマグロと格闘中であった。重傷を負っているのを見て房次郎が釣糸を切ろうとすると「切らねでけろ。俺も大間の漁師だから」という俊一にマグロとの闘いに加わる。2日間の死闘の末、大物は仕留められる。帰港の途中、来年の春に生まれる子が男だったら漁師にしたいと告げ、俊一は息を引き取る。
スタッフ

監督:
相米慎二

製作:織田明、中川完治、宮島秀司

脚本:田中陽造

撮影:長沼六男

音楽:三枝成章

キャスト

小浜房次郎:
緒形拳

小浜トキ子:夏目雅子

依田俊一:佐藤浩市

無線係 浅見:下川辰平

アヤの男 新一:矢崎滋

北海道伊布漁連の熊谷課長:レオナルド熊

北海道伊布漁港の卸業者:石倉三郎

エイスケ:三遊亭圓楽

アヤ:十朱幸代

おでん屋のオヤジ: 工藤栄一

刑事[7]寺田農

大間の漁師仲間:木之元亮

伊勢将人

伊藤裕平

かわいのどか

石川慎二

製作

原作は幾度か映画化を企画されながら断念されてきた難物[1][8]

深作欣二監督が1981年の『青春の門』撮影後に、松坂慶子主演・野上龍雄脚本で五木寛之の『朱鷺の墓』を映画化したい、と松竹のプロデューサー織田明に要請し[9]金沢シナハンも終え、カナダロケの段取りをつけるなど、かなり製作が進んだ段階で、深作と野上が『朱鷺の墓』の製作中止を織田に申し出た[9]。後処理の難航で、松竹はかなりの損害を被ることが予想されたため、織田が2人に代替案を要求し[9]、野上が本作『魚影の群れ』を、深作が田辺聖子『休暇は終わった』の映画化と松竹が企画として挙げていた『蒲田行進曲』を出した[9]。深作が『魚影の群れ』にのらず、監督が相米慎二になった[9]。深作は『蒲田行進曲』をやることになり、深作の監督就任で『蒲田行進曲』の製作は一気に進んだ[9]。今では撮れないのは勿論[1]、1960年代頃の映画黄金期ならいざ知らず、当時としても松竹でよくこの企画を通ったなというべき内容[1]。相米は監督デビュー作『翔んだカップル』から3作品を連続でティーンエイジャーを主人公にした映画を撮ってきただけに、意外性のある作品選定で、公開当時の気分としてもこのような地味で重量感のある作品選定は突飛な印象があった[4]

相米はにっかつキティ・フィルムで仕事をしてきて松竹では初仕事[10]カメラ長沼六男は松竹育ちだが、宣伝も含めスタッフは大半がフリー[10]。配給は洋画系の松竹富士だが、制作は松竹自体が邦画系か洋画系か必ずしも明確にさせないままクランクインさせた[10]。当時は配給だけは先に決めて、制作を独立プロにやらせ[10]、また宣伝も角川映画制作の『戦国自衛隊』を東映洋画が担当するなど、外部の広告代理店に発注するケースが増えていた[10]
演出

相米監督の演出ノートには「海ーあるときはゆったりと大きくうねりあるときは激しく幾重にも噛む。人生ー別離の連続であり別れこそが人間が生きていることの証である。『魚影の群れ』は大海原の孤舟に立ってみつめる愛と闘いのドラマです」と書かれてあった[8]
キャスティング

相米作品の常連俳優・寺田農は緒形を取り調べる刑事役で出演し[7]、さんざん苦労して撮ったのに[7]、長いという理由で丸々カット[7][11][12]クレジットで名前が表記されるため、テレビ放映されると知人から「どこに出てたんですか、テレビ放映でカットされたんですね?」と言われるが最初から出演シーンはない[7]。『光る女』もリポーター役での出演だったが[11]、同様に全カットされ[11]、『台風クラブ』は特殊メイクに3?4時間かけたが、ロングのワンカットだけにされたという[7]
撮影

青森県下北郡漁港大間町でオールロケ[1]

夏目雅子が『キネマ旬報』1983年4月下旬号のインタビューで、このあと『魚影の群れ』の撮影に入ると話しており[13]、『サンデー毎日』1983年5月8、15日号の青島幸男との対談では「2度手術をして昔はウォッカボトル一本ぐらい飲めたの今は3杯くらいで酔っぱらう、調子も悪く今年の3月に突然ジンマシンが出た、仕事も立て続けで今は『魚影の群れ』を撮っている」などと話していることから[14]、1983年春から撮影に入り、後述する『週刊平凡』の記事から1983年春から夏まで、あるいは秋まで撮影をしたものと見られる[10]津軽海峡を渡るマグロは、ある時期しか回遊していかず、マグロを追いかけ、8月いっぱいくらいまでずっと海に出た。最後はもう大間では撮れないと判断され、北海道にまで行った[2]。このため撮影は1983年9月初めまでやった[2]

夏目は1983年夏に、本作、『瀬戸内少年野球団』、NHK大河ドラマ徳川家康』の3本を掛け持ち[2][15]


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