魔女の宅急便_(1989年の映画)
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魔女の宅急便
Kiki's Delivery Service

監督宮崎駿
脚本宮崎駿
原作角野栄子
魔女の宅急便』(福音館書店刊)
製作尾形英夫
漆戸靖治
原徹
宮崎駿
製作総指揮徳間康快
都築幹彦
高木盛久
出演者高山みなみ
佐久間レイ
戸田恵子
山口勝平
信沢三恵子
関弘子
加藤治子
三浦浩一
音楽久石譲
主題歌荒井由実(松任谷由実)
ルージュの伝言
やさしさに包まれたなら
撮影杉村重郎
編集瀬山武司
制作会社スタジオジブリ
製作会社徳間書店
ヤマト運輸
日本テレビ
配給 東映東映洋画
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ(SIFF)
ゴーモン
Cinema Mondo
Bir Film
Camera Film
Sonet Film
Oro Film
RUSCICO
Lucky Red
Aurum Producciones
スタジオカナル UK
ファゾム・イベンツ/GKIDS[注 1]
Arthaus
公開 1989年7月29日
1990年1月20日
1990年7月27日
1990年12月20日
1991年6月13日
1991年7月19日
1992年12月31日
1998年5月23日(SIFF)
2002年11月7日
2004年3月31日
2004年4月10日
2004年4月10日(仏語圏)/2005年12月5日(独語圏)
2007年3月30日
2007年7月6日
2007年10月12日
2007年11月22日
2007年11月23日
2007年12月14日
2008年10月2日
2013年4月24日
2014年1月12日
2016年5月27日
2017年7月23日[注 1]
2018年1月12日
2018年6月15日
2018年11月3日
2018年12月9日
上映時間102分[注 2]
製作国 日本
言語日本語
製作費 8億円
興行収入 43億円(推測)[7]
配給収入 21億5000万円[8]
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『魔女の宅急便』(まじょのたっきゅうびん、英題:Kiki's Delivery Service)は1989年平成元年)7月29日に公開されたスタジオジブリ制作の日本アニメーション映画作品。スタジオジブリにおける宮崎駿監督の長編映画としては初の、他者の原作による作品である。主題歌には荒井由実の楽曲が採用された。略称は「魔女宅」(まじょたく)[9][10]。キャッチフレーズは「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」。
制作の経緯カフェ/パン屋さん Porten, ゴットランド島ヴィスビューヴィスビューの街並み

1985年(昭和60年)12月、映画プロダクション風土舎は角野栄子の児童文学『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げた。「宅急便」がヤマト運輸の登録商標であったことから、真っ先に同社にスポンサーを要請した。当初ヤマト運輸は難色を示したが、同社のトレードマークである黒猫が偶然にも物語に登場することから次第に前向きになり、スポンサーになることを了承した[11][12]

1987年(昭和62年)ごろ、風土舎とヤマト運輸は電通を通じて徳間書店に協力を申し込み、本作はスタジオジブリで制作される事となった。更に東映配給部長の原田宗親を納得させる為に日本テレビも制作に加わる事となる。

監督には当初、若手が起用される予定だった[13]。風土舎は「監督またはプロデューサーに宮崎駿か高畑勲を」との意向を示したが、両名は各々『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の制作を開始したばかりであったため、監督には有望な若手を起用して宮崎はプロデューサーに回ることとなった[13]。最初に声がかかったのは当時、東映動画に所属しており、後に『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』『ケロロ軍曹』などで知られるようになる佐藤順一であったが、諸事情により企画が具体的に動き出す前に離れることになった[13][14]。次に指名されたのは、学生時代に宮崎が監督した『名探偵ホームズ』の脚本を手掛けたことがきっかけでアニメ業界入りした片渕須直だった[13]。約三十年後に『この世界の片隅に』で知られるようになる片渕も、当時は無名の新人であり、主要なスポンサーから「宮崎駿監督作品以外に出資するつもりはない」と申し渡されたことを受け、監督からは身を引いて作品には演出補として参加した[15]。そしてプロデューサーだけでなく監督も宮崎が担当することとなった[16]

作画のメインスタッフ陣にはキャラクターデザイン担当のチーフアニメーターに近藤勝也、補佐に大塚伸治を起用、美術監督は男鹿和雄の推薦で大野広司が起用される事となった。大野が所属していたスタジオ風雅の水谷利春社長もこのプロジェクトに賛同しすぐ大野の起用を決定した。脚本は一色伸幸が担当していたが、書き上げたシナリオが作品の雰囲気にそぐわないとして『となりのトトロ』の作業を終えた宮崎がシナリオを書く事となり、一色は降板した。シナリオ完成後、宮崎は絵コンテ作業を開始。途中、近藤喜文も絵コンテ作業を手伝っていたが、作画状況の関係から作画監督に回る事となる。

本作での宮崎の役目はプロデューサー、脚本、絵コンテ、監督の4役で、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』で行っていた作画チェックは行わず、その役は作画監督の近藤勝也、近藤喜文、大塚伸治が担当した。

長編アニメーション映画としては制作期間が短く、作画の困難な群集シーンが後半に多数挿入された為スタッフの負担は大きかった。さらに途中でセルが不良品であることが判明、片渕はハサミでセルからキャラクターだけ切り取る作業に追われたほか、仕上げチェック係の眼精疲労患者が続出した[17]

原作をかなり自由に脚色し、背景にはスタッフがロケハンしたスウェーデンストックホルム及びゴットランド島ヴィスビュー、宮崎自身が1988年(昭和63年)5月に個人的に旅行したアイルランド、その他サンフランシスコリスボンパリナポリなどの風景を織り交ぜて使っている[18]


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