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出典検索?: "魔人ドラキュラ"
魔人ドラキュラ
Dracula
監督トッド・ブラウニング
カール・フロイント
脚本ギャレット・フォート(英語版)
原作ブラム・ストーカー
『吸血鬼ドラキュラ』
製作トッド・ブラウニング
カール・レムリ・Jr
出演者ベラ・ルゴシ
ヘレン・チャンドラー
音楽フィリップ・グラス (1999年)
撮影カール・フロイント
編集ミルトン・カラス
配給ユニバーサル・ピクチャーズ
公開 1931年2月12日(ニューヨーク初演)
1931年2月14日
1931年10月8日
1996年11月23日(再リリース)
上映時間75分
製作国 アメリカ合衆国
言語英語
ハンガリー語
製作費$355,000[1]
次作女ドラキュラ
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『魔人ドラキュラ』(まじんドラキュラ、原題:Dracula)は、アメリカのユニバーサル映画が製作したホラー映画。1931年2月14日公開。主演ベラ・ルゴシ、監督はトッド・ブラウニング。日本では1931年10月8日に公開された。
ブラム・ストーカー原作『吸血鬼ドラキュラ』の初の正規映画化作品。世界的にヒットし、戦前のホラー映画ブームを巻き起こした。ユニバーサルは怪奇メーカーとして名をはせ、ドラキュラ伯爵役で主演したベラ・ルゴシも世界に知られる怪奇スターとなった。オープニングにチャイコフスキーの白鳥の湖の序章が編曲されて使用されている。
ストーリードラキュラ伯爵に扮するベラ・ルゴシ
イギリスの事務弁護士レンフィールドは、トランシルヴァニアの貴族ドラキュラ伯爵に招かれてドラキュラ城を訪れた。ドラキュラはロンドンでの土地の購入を希望していた。しかし、ドラキュラの正体は伝説上の存在とされていた吸血鬼であり、レンフィールドは下僕にされてしまう。ドラキュラはレンフィールドに手引きさせて船を占拠してイギリスに渡り、レンフィールドは「精神を病んだ」としてセワード精神病院に搬送される。カーファックス修道院を棲家とすると、東欧から移住してきた高貴な伯爵として社交界に現れ、修道院の隣に居住するセワード博士一家に接触する。セワードの娘ミナの友人ルーシーはドラキュラの虜になり、血を吸われて死んでしまう。
セワードの元を恩師のヘルシング教授が訪れ、レンフィールドが吸血鬼になっていることを告げるが、セワードは吸血鬼の存在を信じようとはしなかった。レンフィールドも「自分を病院から遠ざけろ」と訴えるが、セワードは聞き入れずに病室に戻してしまう。その夜、ドラキュラはセワードの屋敷に忍び込み、ミナを襲い吸血する。その日以来、ミナは悪夢にうなされるようになり、ヘルシングは彼女の婚約者ハーカーと共に屋敷を訪れるが、そこにドラキュラが見舞いに訪れる。ミナはドラキュラの来訪を喜ぶが、ドラキュラの姿が鏡に映らないのを見たヘルシングは、ドラキュラこそが吸血鬼であると確信する。
ヘルシングは、ドラキュラを寄せ付けないためにミナの部屋をトリカブトで埋め尽くすが、吸血鬼の血が入ったミナはそれを嫌がり、彼女の身を案じるハーカーもヘルシングに反発する。ドラキュラは再びセワードの屋敷に忍び込み、ミナを連れ去ってしまう。同じ頃、レンフィールドが精神病院から脱走してドラキュラの元に向かい、ヘルシングとハーカーは彼を尾行する。これによってドラキュラが隠れ家にしていた修道院まで二人が来てしまい、ドラキュラはレンフィールドを裏切ったと見なし殺害するも、すでに夜明けが近付いてきていたためミナを連れてあわてて地下墓所のひつぎに逃げ込む。地下墓所を捜索するうちに二人は棺で眠るドラキュラを発見する。ヘルシングはそばにあった棒を折ってドラキュラの心臓にその尖った先端を刺して彼を殺し、ハーカーはミナを取り戻す。
キャスト
ドラキュラ伯爵 - ベラ・ルゴシ / 日本語吹き替え - 若山弦蔵
ミナ・セワード - ヘレン・チャンドラー
ジョン・ハーカー - デヴィッド・マナーズ / 日本語吹き替え - 朝戸正明
レンフィールド - ドワイト・フライ(英語版)
ヴァン・ヘルシング教授 - エドワード・ヴァン・スローン
セワード博士 - ハーバート・バーンストン(英語版)
ルーシー・ウェストン - フランシス・デイド(英語版)
ブリッグス - ジョアン・スタンディング(英語版)
マーティン - チャールズ・ジェラード(英語版)
※吹替放送1964年2月20日NET「ショック!」21:45?22:45 放映タイトルは『吸血鬼ドラキュラ』
製作ベラ・ルゴシとエドワード・ヴァン・スローン
1897年に発表されたイギリスのブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』は、1920年代に同国で舞台作品としてロングランヒットを記録し、1922年にはF・W・ムルナウによって『吸血鬼ノスフェラトゥ』として映画が公開された。しかし、これは映画化の許可を得ていなかったため、ストーカーの未亡人は著作権侵害として裁判所に訴えて勝訴し、映画のネガとプリントの破壊が命令された[2]。1927年にはアメリカのブロードウェイ公演でも大成功を収めた。それに目を付けたユニバーサル映画は、当時急激に浸透していたトーキー作品として映画化を企画する。カール・レムリ・Jrは映画化の権利を取得し、脚本家のギャレット・フォート(英語版)は脚本の執筆に際して『吸血鬼ノスフェラトゥ』を研究した。同作を参考にしたシーンには、「レンフィールドが指を怪我して血を流し、ドラキュラが血を吸おうと近付くが、直後に十字架が目に入り怯える」というものがある。
ドラキュラ役には「千の顔を持つ男」と称された当時高い人気を誇った怪優で、『London After Midnight』(1927年)で吸血鬼役(実際は吸血鬼に扮した刑事)を演じた経験のあるロン・チェイニーが内定、監督も同作のトッド・ブラウニングに決定した。しかしチェイニーは1930年に47歳で急死し、レムリは代わりの俳優としてポール・ムニ、チェスター・モリス(英語版)、イアン・キース(英語版)、ジョン・レイ(英語版)、ジョセフ・シルドクラウト、アーサー・キャリウェ(英語版)、ウィリアム・コートニー(英語版)を検討した。その折、ブロードウェイ版舞台でドラキュラを演じたハンガリー出身の俳優ベラ・ルゴシが、別の舞台に出演するためにロサンゼルスを訪れていた[2]。