鬼龍院花子の生涯
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鬼龍院花子の生涯
著者
宮尾登美子
発行日1980年1月
発行元文藝春秋
ジャンル長編小説
日本
言語日本語
形態上製本
ページ数252
公式サイト[1]
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『鬼龍院花子の生涯』(きりゅういんはなこのしょうがい)は、宮尾登美子の著した長編小説である。『別冊文藝春秋』145号から149号に連載された。大正昭和高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎(通称・鬼政)とその娘花子の波乱万丈の生涯を、12歳で鬼政のもとへ養女に出され、約50年にわたりその興亡を見守った松恵の目線から描いた作品[1]
概要

宮尾の土佐花街を舞台にした小説は、置屋の紹介人だった宮尾の父が残した14冊の日記、営業日記、住所録を主に参考として取材し創作されている[2]。鬼龍院政五郎は父の日記にあった父にお金を借りに来た親分の話で、モデルになった人物が当時まだ存命で取材に協力してくれ、話を聞いたそのままの実話だという[1][2]
あらすじ

「土佐に熱血の志士は出ても男稼業の侠客は育たぬ」と言われた高知で、大正4年春、鬼政こと鬼龍院政五郎は九反田上市場の納屋堀に男稼業の看板を掲げた。大正7年春、子だくさんの白井家に生まれた数え年12歳の松恵は、弟の拓(ひらく)と鬼政の家にもらわれるが、拓は翌日逃げ出し、松恵だけが養女となる。松恵は子分たちのいる主家の向かい家で、正妻の歌、妾の〆太、笑若、つると暮らすことになった。

翌年、18歳のつるが妊娠し、長女・花子を出産。鬼政は初めての子に喜ぶが、〆太、笑若は家を去る。学業優秀な松恵は、学費の工面に苦労しながら女学校に進学するが、歌が腸チフスで死去。鬼政は労働運動家の安戟B盛(あき さかん)を迎えて高知県初の労働者組織を発足させたが、高知刑務所から出所した安芸が松恵と結婚したいと聞くと激怒し、安芸の小指を詰めて決別する。松恵は鬼政に体を求められて逃げ出し、絶望するが、昭和2年、念願の小学校教員となり、自活する。

鬼政は高知のやくざ荒磯と相撲の興行権を巡って対立する。花子は鬼政と家事の苦手なつるに甘やかされ、わがままに育つ。松恵は鬼政の姉・加世の下宿人で京大に進学した田辺恭介と文通を始め、卒業後の結婚を約束する。荒磯は鬼政の家をダイナマイトで爆破。鬼政の子分たちが報復に向かうも荒磯を討てないまま、鬼政ともども逮捕される。松恵は自主退職を余儀なくされる。

鬼政は服役。地元の名士・須田保次郎からも絶縁され、鬼龍院家は衰えていくが、花子のわがままはあいかわらずだった。松恵は大阪で技芸学校の舎監に就職し、田辺恭介と結婚しようとするが、獄中の鬼政、田辺の両親から反対され、別居する。昭和11年3月、出所した鬼政は松恵を呼び戻す。鬼政は衰えた鬼龍院家を建て直そうとするが、中風に倒れる。方々に借金をしたあげく、昭和15年1月、再び倒れ68歳で他界する。松恵は高知を出ようとするが、神戸の山口組に挨拶にいったつるが39歳の若さで急死する。

つるを看取った山口組の権藤哲夫と花子が急遽結婚し、鬼龍院家は代替わりする。松恵は再び家を出ようとするが、神戸に行く権藤から留守を頼まれる。8月、権藤は浅草で抗争事件に巻き込まれ死去。遺骨を届けに来た山口組の辻原喜八郎は花子に手を出し、二人の結婚が決まる。9月、花子は神戸に移り住む。松恵は仕送りをする条件で田辺家から結婚を許され、高知に念願の新居を構える。昭和18年1月、花子は長男を出産するが、祝いに行った松恵は散らかり放題の屋敷にあきれる。終戦後、田辺が故郷の徳島で脳溢血で急死。葬式に駆けつけた松恵は、田辺の父親から罵倒されるが、密かに分骨した夫の遺骨を持って高知に戻る。鬼龍院家は瓦解していた。昭和25年、松恵は地元の裁縫女学校の教員となる。


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