鬼ノ城
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logo鬼ノ城
岡山県
角楼(左)と西門(右)を学習広場より望む
城郭構造古代山城神籠石式山城
築城主大和朝廷
築城年7世紀後半
遺構城門、角楼、石塁、土塁、水門、敷石
指定文化財国の史跡「鬼城山」
再建造物城門、角楼、土塁
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度43分35.53秒 東経133度45分46.49秒 / 北緯34.7265361度 東経133.7629139度 / 34.7265361; 133.7629139座標: 北緯34度43分35.53秒 東経133度45分46.49秒 / 北緯34.7265361度 東経133.7629139度 / 34.7265361; 133.7629139
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鬼ノ城鬼ノ城遠望(水城状遺構より)西門(城外より)水城状遺構を望む(城内より)

鬼ノ城(きのじょう)は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた[1]日本古代山城神籠石式山城)。城跡は国の史跡「鬼城山」(1986年(昭和61年)3月25日指定)の指定範囲に包含される[2]
概要

大和朝廷(日本)の防衛のために、対馬?畿内に至る要衝に様々な防御施設を築いている[3]。鬼ノ城は史書に記載が無く、築城年は不明であるが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている[4]

鬼ノ城は、吉備高原の南端に位置し、標高397メートルの鬼城山の山頂部に所在する。すり鉢を伏せた形の山容の7?9合目の外周を、石塁土塁による城壁鉢巻状に2.8キロメートルに渡って巡る。城壁で囲まれた城内の面積は、約30ヘクタールである。城壁は土塁が主体で、城門4か所・角楼・水門6か所などで構成される[5][6]。そして、城壁を保護するための敷石の発見は、国内初のことであった。城内では、礎石建物跡7棟・掘立柱建物跡1棟・溜井・烽火場・鍛冶遺構などが確認されている[7]。鬼ノ城は、山城に必要な設備がほぼ備わり、未完成の山城が多い中で稀な完成した古代山城とされている[8]

鬼ノ城は、「歴史と自然の野外博物館」の基本理念に基づき、西門と角楼や土塁が復元された[9]。その他、城門・水門・礎石建物跡・展望所・見学路などの整備とともに、「鬼城山ビジターセンター」と駐車場を整え、「史跡・自然公園」として一般公開されている。

城壁は、幅7m×高さ6?7mの版築土塁が全体の8割強を占める。しかし、城壁最下の内外に1.5m幅の敷石が敷設されており、石城の趣が強い[10]。そして、防御正面の2か所の張り出しは、石垣で築かれている。流水による城壁の崩壊を防止するための水門が、防御正面に集中する。城壁下部の2?3mに石垣を築いて水口を設け、通水溝の上部を土塁で固めた水門が4か所ある[注 1]。他の2か所は、石垣の間を自然通水させる浸透式の水門である[11]。また、水門の城内側の2か所の谷筋で、土手状遺構が発掘された。土石流や流水から城壁を守るためと、水を確保するための構築物である[4]。そして、第0水門の城壁下部で、マス状の石囲の浅い貯水池が発掘され、多くの木製品が出土した[12]

城門は、防御正面に東門・南門・西門、防御背面に北門の4ヵ所が開く。主の進入路と思われる場所に西門があり、西門の北側約60メートルの隅かどに角楼[注 2]がある。各々の城門は、門礎を添わせた掘立柱で、門道は石敷きである。西門は平門構造で、他の門は懸門構造[注 3]である。東門は間口1間×奥行2間で6本の丸柱構造。南門は間口3間×奥行2間で12本の角柱構造。中央の1間が出入り口で、本柱は一辺が58cm角である。西門は南門と同じ柱配列で、本柱は一辺が60cm角である。そして、門道の奥に4本柱の目隠し塀がある[注 4]。北門は間口1間×奥行3間の8本の柱構造。本柱は一辺が55cmの角柱で、他は丸柱である。そして、門道に排水溝が埋設されている[注 5]。また、西門周辺と角楼に至る土塁上面の柱穴の並びは、板塀のための柱跡とされている[11]

城内の中心部には、食糧貯蔵の高床倉庫と思われる礎石総柱建物跡5棟、管理棟と思われる礎石側柱建物跡2棟が発掘された。また、12基の鍛冶炉の発掘は、鉄器製作の鍛冶工房とされ、羽口・鉄滓・釘・槍鉋・砥石などが出土する。他の出土遺物は、須恵器の円面・甕・壺・食器類に加え、土師器の製塩土器・椀・皿などがある[4]

鬼ノ城の南麓の低丘陵が南北から突出して狭くなった田園地帯に、水城状遺構がある。版築状の土塁で、長さ約300m×高さ約3m×基底部幅約21mを測り、土塁の上部に人々が集住する。水城大野城の関係と同様に、城への進入路を遮断した軍事施設[注 6]とされている[13]

瀬戸内海は、いにしえから海外交流交易の主海路である。東端の難波津(港)の西方、約180キロメートルに吉備津(港)は[注 7]位置する。吉備津の西方、約240キロメートルに那大津(港)の博多がある。吉備津は、東西航路のほぼ中間点に位置する。鬼ノ城の山麓一帯は、勢威を誇った古代吉備の中心部であり、鬼ノ城は吉備津から約11キロメートルである[14]

鬼ノ城は、いにしえから吉備津彦命による温羅退治の、伝承地として知られていた。苔むした石垣が散在する状況から、城跡らしいと判断され、「キのシロ」と呼んでいた。「キ」は、百済の古語では城を意味し、後に「鬼」の文字をあてたにすぎない。「鬼ノ城」は「シロ」を表す、彼の地と此の地との言葉を重ねた名称である[14]

礎石建物群の周辺では、仏教に関わる瓦塔水瓶・器などの遺物が出土している。鬼ノ城の廃城後の飛鳥時代から平安時代にかけて、山岳寺院が営まれている[4]

鬼城山の山頂では、眼下に総社平野・岡山平野西部・岡山市街が一望できる。児島半島の前方は瀬戸内海、海の向こうの陸は香川県である。坂出市の「讃岐城山城」と高松市の「屋嶋城」が視野[注 8]に入る[11]
関連の歴史

日本書紀』に記載された白村江の戦いと、防御施設の設置記事は下記の通り。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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