この項目では、東日本旅客鉄道の駅について説明しています。かつて同名を称した貨物駅については「森戸駅」をご覧ください。
高麗川駅
駅舎(2023年2月)
こまがわ
Komagawa
所在地埼玉県日高市大字原宿336-2.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度53分46.61秒 東経139度20分16.62秒 / 北緯35.8962806度 東経139.3379500度 / 35.8962806; 139.3379500
高麗川駅(こまがわえき)は、埼玉県日高市大字原宿にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である[1]。
乗り入れ路線[ソースを編集]
当駅の所属線である八高線[2]と、当駅を終点とする川越線[4]の分岐駅となっている。
八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。
八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。
1996年(平成8年)3月15日(八高線の八王子駅 - 当駅間の電化前日)までは八王子駅 - 高崎駅間の全線通し運転の列車が、1985年(昭和60年)9月29日(川越線の電化前日)までは大宮駅から八高線に乗り入れて東飯能駅までの直通列車(気動車)が設定されていた。川越線の電化後も1989年(平成元年)3月10日までは当駅 - 大宮駅間の全線通し運転の列車(電車)が設定されていた。
歴史[ソースを編集]高麗川駅付近空中写真(1974年撮影 国土画像情報オルソ化空中写真〈国土交通省〉より)
1933年(昭和8年)4月15日[1]:鉄道省八高線の東飯能駅 - 越生駅間の開通と同時に開業。一般駅。
開業当時の当地は入間郡高麗川村で、駅名はこれに由来する。
1939年(昭和14年)4月27日 - 陸軍士官学校に向かう昭和天皇のお召し列車が発着[5]。
1940年(昭和15年)7月22日:川越線の大宮駅 - 当駅間が開業[4]。
1963年(昭和38年)5月16日:日本セメント(現在の太平洋セメント)専用線が運用開始。
1969年(昭和44年)10月1日:配達の取り扱いを廃止[2]。
1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[2]。
1985年(昭和60年)9月30日:川越線が電化開業。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[2][4]。
1996年(平成8年)3月16日:八高線の八王子駅 - 当駅間が電化開業[6]。
1999年(平成11年)9月20日:太平洋セメント専用線が廃止。
太平洋セメントの埼玉工場へ専用線が続き、工場で生産されたセメントの発送を行っていた。専用線は全長1.4km・非電化であった。JR機が牽引作業を行い、工場内入換作業は太平洋セメント保有の入換動車(スイッチャー)が使用されていた。
なお、同専用線跡地は2009年(平成21年)3月30日に日高市に寄付され[7]、遊歩道として整備されている。遊歩道には、踏切や線路の一部が残され「ポッポ道」と名付けられた[8]。
また、同工場への専用線は、1984年(昭和59年)まで東武鉄道越生線の西大家駅から分岐するものも存在していた。