たかの しげよし高野 茂義
生誕1877年
茨城県水戸市
死没1957年
国籍 日本
別名旧姓:千種
著名な実績昭和天覧試合準優勝
流派中西派一刀流
肩書き大日本武徳会剣道範士
親戚高野佐三郎(養父)
高野泰正
高野 茂義(たかの しげよし、1877年(明治10年) - 1957年(昭和32年))は、日本の剣道家。流派は中西派一刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。旧姓は千種。 旧水戸藩の北辰一刀流指南役・千種甲午郎茂春の次男として茨城県水戸に生まれる。小学校の仲間に、内藤高治の甥で後に横綱力士となる常陸山谷右エ門がいた。茂義は力が強く、相撲部屋への入門を勧められたこともあったという。 14歳で父を亡くし、旧弘道館剣術方教授小澤寅吉の道場・東武館で剣術を学ぶ。1895年(明治28年)、高野佐三郎(中西派一刀流)の道場・浦和明信館に入門。1900年(明治33年)、高野佐三郎の養子となる。 1914年(大正3年)、南満州鉄道株式会社の招聘を受け、終戦まで同社の剣道師範を務める。 1929年(昭和4年)、御大礼記念天覧武道大会指定選士の部に出場。初日に足を負傷する。翌日は傷をおして出場し、決勝戦まで勝ち進んだが、持田盛二に敗れ、惜しくも準優勝に終わった。1934年(昭和9年)、皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会の審判員並びに特選試合に出場し、中山博道との試合を披露した。
目次
1 経歴
2 称号
3 著書
4 参考文献
経歴
称号
1908年(明治41年)、大日本武徳会剣道教士
1922年(大正11年)、大日本武徳会剣道範士
著書
『剣道一路』
参考文献
宮内省監修『 ⇒皇太子殿下御誕生奉祝 昭和天覧試合』738頁、大日本雄弁会講談社編
庄子宗光『剣道百年』、時事通信社
更新日時:2015年8月18日(火)14:54
取得日時:2019/12/23 22:07