高野 紀元(たかの としゆき、1944年2月 - )は、日本の外交官。東洋大学理事、日本郵便監査役、伊藤忠商事顧問[1]。 2005年2月23日、テレビ朝日ソウル支局の韓国人記者が、外信記者クラブで『竹島の日』条例をどう思うかと質問した。高野は「そういう問題が起きているのは知っている」とし、「竹島は日本領」「この問題が日韓関係全般に悪影響を与えないことを望む」と解答した。韓国では「竹島は日本領」の部分のみが切り出されて報じられ、反発を呼び、ついには駐韓公使を呼び出しての「厳重抗議」に至った。 また、この発言を受けて、ソウルの日本大使館前で各市民団体が合同で反日集会を開催し、他の団体が、深夜デモ、断指、高野大使の顔が書かれた旗を燃やす、「日本は歴史歪曲を即刻中断しろ」と描かれた紙飛行機30個を日本大使館の中に投げ入れる、高野の名前が書かれた豚を捕獲するパフォーマンスを行うなどの騒動を起こす中、活貧団は、前夜の深夜デモに参加し、あくる日『新しい歴史教科書』をかたどったダンボール4箱を燃やすなどした後、洪貞植
略歴
1963年 - 東京都立日比谷高等学校卒業。
1966年 - 外務公務員採用上級試験合格[2]。
1967年 - 東京大学教養学部卒業後、外務省入省[2]。
英語研修(オックスフォード大学)、アジア局、アメリカ局、在米国大使館、在ビルマ大使館など。
1987年 - 在米国大使館参事官。
1990年 - 大臣官房人事課長。
1992年 - アジア局参事官。
1994年 - 北米局審議官。
1996年 - 在韓国大使館公使。
1997年 - 北米局長[2]。
1998年 - 外務省研修所長。
1999年 - 国際情報局長[2]。
2000年 - 東京大学客員教授。
2001年 - 外務審議官[2]。
2003年 - 在韓国特命全権大使[2]。
2005年 - 在ドイツ特命全権大使[2]。
2008年 - 伊藤忠商事株式会社顧問。
2013年 - 学校法人東洋大学理事。
2015年 - 日本郵便株式会社監査役[3]。
2019年 - 瑞宝重光章受章[4]。
駐韓大使として
同期(駐コロンビア大使)、阿部知之
表
話
編
歴
在ドイツ日本大使 (2005年-2008年)
在ドイツ国全権公使
(1870-1871在北ドイツ連邦)
鮫島尚信1870-1873 少弁務使→中弁務使→弁理公使 / 1873-1875
青木周蔵1874 代理公使 / 1874-1885
品川弥二郎1885-1887
西園寺公望1887-1891
青木周蔵1892-1898
井上勝之助1898-1906
大使館昇格1906
在ドイツ国全権大使
井上勝之助1906-1907
珍田捨巳1908-1911
杉村虎一1911-1914
日置益1920-1924
本多熊太郎1924-1926
長岡春一1926-1930
小幡酉吉1930-1933
永井松三1933-1935
武者小路公共1935-1937
東郷茂徳1937-1938
大島浩1938-1939
来栖三郎1939-1941
大島浩1941-1945
閉鎖1945
在ドイツ連邦共和国全権大使
(西ドイツおよび統一ドイツ)
加瀬俊一1953-1956
大野勝巳1956-1957
武内竜次1957-1960
成田勝四郎1961-1965
内田藤雄1965-1970
甲斐文比古1970-1972
曽野明1972-1975
上田常光1975-1977
吉野文六1977-1982
宮崎弘道1982-1986
宮沢泰1986-1989
木村敬三1989-1992
村田良平1992-1994
有馬龍夫1994-1997
渋谷治彦1997-1998
久米邦貞1998-2001
野村一成2001-2002
高島有終2002-2005
高野紀元2005-2008
神余隆博2008-2012