高野口町
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こうやぐちちょう
高野口町
廃止日2006年3月1日
廃止理由新設合併
橋本市・高野口町→
橋本市
現在の自治体橋本市
廃止時点のデータ
日本
地方近畿地方
都道府県和歌山県
伊都郡
団体コード30342-9
面積20.06km2
総人口14,889人
(2003年)
隣接自治体和歌山県橋本市かつらぎ町九度山町
大阪府河内長野市
町の木サクラ
町の花サツキ
高野口町役場
所在地〒649-7205
和歌山県伊都郡高野口町名倉1028番地1
外部リンク ⇒高野口町 (Internet Archive)
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高野口町(こうやぐちちょう)は、和歌山県伊都郡にあったである。

2006年3月1日、隣接する橋本市と合併し、新市制による橋本市となった。合併後もかつての町域は橋本市高野口町となっている。
目次

1 地理

2 歴史

2.1 沿革


3 行政

4 経済

4.1 産業


5 姉妹都市・提携都市

6 教育

7 交通

7.1 鉄道

7.2 道路


8 出身著名人

9 関連項目

地理

和歌山県の北東部に位置する。高野口町名倉の一部が九度山町内にあり、竹尾の一部がかつらぎ町内にあり飛地となっている。

河川:紀ノ川

歴史

平安時代後期から霊峰高野山への参詣口の一つとして発展し、その後宿場として栄えた。明治33年(1900年)の紀和鉄道(現・和歌山線)の開通、翌年の名倉駅(現・高野口駅)の設置及び大正4年(1915年)に高野登山鉄道(現・南海高野線)が橋本駅まで開通したことで高野参りの客が多く集まるようになり、旅館、土産物屋、飲食店が軒を並べ、この賑わいは大正14年(1925年)に南海鉄道(現南海高野線)が高野下駅に開通するまで続いた。農業の副業として盛んに行われていた養蚕や機織りは、後のパイル織物を築く礎となった。
沿革

1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、伊大野村・名倉村および入郷村の一部(飛地)の区域をもって名倉村が発足。

1910年(明治43年)9月1日 - 名倉村が町制施行・改称して高野口町となる。

1955年昭和30年)4月15日 - 応其村信太村と合併し、改めて高野口町が発足。

2006年平成18年)3月1日 - 橋本市と合併し、改めて橋本市が発足。同日高野口町廃止。

行政

高野口町として最後の町長は辻本仁至。
経済
産業

高度成長期には、日本全国のパイル織物の80%を生産していたこともあり、新幹線の座席は全て「MADE IN KOUYAGUCHI」であったといわれるが、バブル期の頃より海外生産の安価品に押され織物業は徐々に衰退した。
姉妹都市・提携都市

姉妹都市・提携都市はない
教育

町内には大学はない

高等学校

和歌山県立伊都高等学校


中学校

高野口町立高野口中学校(こうやぐちちゅうがっこう、橋本市高野口町名古曽1322-10)


小学校

高野口町立高野口小学校(こうやぐちしょうがっこう、高野口町名倉226)

高野口町立信太小学校(しのだしょうがっこう、高野口町九重87)

高野口町立応其小学校(おうごしょうがっこう、橋本市高野口町名古曽19)


幼稚園

高野口町立応其幼稚園(おうごようちえん、高野口町名古曽19)

高野口町立高野口幼稚園(こうやぐちようちえん、橋本市高野口町名倉226)


交通
鉄道

中心となる駅:
高野口駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)

和歌山線高野口駅


道路

自動車専用道路

京奈和自動車道(橋本道路):高野口インターチェンジ - 合併後の2006年4月27日に開通


一般国道

国道24号


県道

和歌山県道4号高野口野上線

和歌山県道103号山田岸上線

和歌山県道112号九重名倉線

和歌山県道113号高野口停車場線


出身著名人

ウインズ平阪 - J-POPユニットウインズのリーダー

関連項目

高野口郵便局

和歌山県の廃止市町村一覧


更新日時:2019年1月21日(月)13:11
取得日時:2019/08/07 00:27


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