高等専門学校
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この項目では、学校教育法による日本の高等専門学校(高専)について説明しています。専門学校令による日本の旧制高等教育機関については「旧制専門学校」を、その他の高等職業教育機関については「高等職業教育機関」をご覧ください。

高等学校(高校)」、「高等専修学校専修学校高等課程)」、「専門学校専修学校専門課程)」、「高等技術専門校(職業能力開発校)」、あるいは「工業専門学校(工専)」とは異なります。

高等専門学校(こうとうせんもんがっこう)は、後期中等教育段階を包含する5年制(商船に関する学科は5年6か月)の高等教育機関であり、学校教育法第115条により「深く専門の学芸を教授し職業に必要な能力を育成することを目的」として設立された日本の学校[1] 。一般には高専(こうせん)と略される。 学校教育法を根拠とし「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」ことを目的とする一条校である[2]

主に中学校卒業程度を入学資格とし、修業年限5年(商船学科のみ5年6か月)間の課程のもと、主に工学技術商船系の専門教育を施すことによって、実践的技術者[注釈 1]を養成することを目的にした教育機関である。

2024年4月4日時点で58校(国立51・公立3・私立4)[3][4]、本科の入学定員は約1万人と、大学や入学時の学齢が同じ高等学校と比べ、少規模な学校種となっている[5]

「完成教育」を標榜する教育機関であることから、5年制の課程を終えた卒業生の過半は就職を選択してきた。就職希望者に対する求人倍率は常に高校卒・大学卒を大きく上回り就職率はほぼ100%となっている[5]。更に進学意欲のある学生には、それに応えるために高専卒業生を受け入れ対象にする2年制の専攻科が各校に設置されている[注釈 2]。20%?50%の高専卒業生は大学進学を希望し、これら志望者には本科卒業後に主に国立大学理工学部3年次(大学、学部によっては2年次)への編入が認められている[5]学士も修了した際には、更には大学院進学の道もある[6]

本科(5年課程)の卒業生は準学士と称することができる。本科卒業後に専攻科(2年課程)を修了した者は、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の審査に合格することにより学士(主に工学)の学位を取得できる。高専内部では便宜的に、5年制の課程を本科もしくは準学士課程、専攻科を学士課程と称している。長岡工業高等専門学校大島商船高等専門学校.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概要

高等専門学校は、学年制を基本に、一般科目と専門科目をくさび形に配置し、1年次より徐々に専門教育が増えていく教育課程に特徴があり、旧文部省・旧国立高等専門学校協会は、都合7年間を要する高校段階から大学工学部レベルの教育を、重複なく5年間で完成する一貫教育を行うと標榜してきた[7][注釈 3]UNESCOの国際標準教育分類(ISCED)によれば、高等専門学校1,2,3学年はLevel-3B[1]、高等専門学校4,5学年および専攻科はLevel-5B[1]に分類されているが、前期課程/後期課程等と内部で分かたれることなく、後期中等教育機関である高校の生徒と同年代の学生(1-3年次)も含めて、高等教育を受けているものと法的にはみなされている。

高専における標準的な総授業時間数は、高等学校短期大学を併せた時間数を大幅に上回り、かつ四年制大学工学部において履修する専門科目の総時間数を若干上回っている。その一方で、一般教育・教養教育にかかわる科目の授業時間数は、高校と短大を併せた時間数を若干下回る[8]。高専の教育課程は、他の教育機関と比して、専門科目に厚く、一般科目に薄いのが特徴である。しかし、大学が教養部を廃止してからはその差は小さくなっているため、一般科目が薄いとは一概に言えなくなっている。

学校教育法上の一条校として制度が誕生したのは1961年(昭和36年)と、60年以上の歴史がある。「5年一貫の技術教育を行う実践的技術者養成機関として発展し、その教育成果は産業界等から高い評価」[9]を得る一方で、「高等教育機関の中では小規模な学校種となっており、社会的認識の面で様々な問題が指摘されている」との評価もある[10]。高専創設後、学校教育法上の新たな教育制度として中等教育学校専修学校が誕生しているが、それらがより一般に認知されているのとは対照的である。

企業側からの評価は高く[9]、近年ではアジアに高専の教育システムを輸出し、人材を日本に呼び寄せる取り組みも始まっている[11]

現状では多くの高専が技術者の養成機関となっているが、芸術や経営などの人文系のカリキュラムを多く設定することも可能である[12]
学校一覧
日本の高等専門学校詳細は「日本の高等専門学校一覧」を参照「商船高等専門学校」および「電波工業高等専門学校」も参照

2024年4月4日現在、高等専門学校は58校あり、設置者別の内訳は、国立51校、公立3校、私立4校である[4][注釈 4]

高専全58校のうち、51校は独立行政法人国立高等専門学校機構の設置する国立学校である。未設置あるいは既存または新設された大学への転換により、高専が設置されていない埼玉県神奈川県山梨県滋賀県佐賀県の5県を除く都道府県には、国公立・私立を含め、最低でも1校ないし複数の高専が設置されている。

校名を英語表記する場合、単科大学短期大学に相当する「College」を使用するのが一般的である。国立高等専門学校機構が設置運営する工業高専は、全校ともNational Institute of Technology, ○○ College(◯◯:地名)と称している[注釈 5]

学科制をとる。かつては、全ての国立高専は1学科1学級(クラス)であったが、現在では、低学年次において、学科をまたいだ混合クラスを編成している学校もある。そして全学生共通のカリキュラムで授業を行っているところがある。高学年になると学生の希望と成績により各専攻へ分属する。また、公立・私立高専には、複数の学級で構成する学科もある。高等専門学校設置基準では、学級定員は40人を標準としている[注釈 6]
学生数

平成26年度(2014年度)の文部科学省学校基本調査」によると、国公私立全高専の在学生は2014年(平成26年)5月1日現在、本科、専攻科、及び聴講生・研究生等をあわせて5万7,677人(男子4万7,905人、女子9,772人)、本科のみでは5万4,354人(男子4万4,970人、女子4,384人)、専攻科のみでは3,262人(男子2,884人、女子378人)であった。また、2014年(平成26年)3月の本科の卒業者数は1万307人(男子8,598人、女子1,709人)、うち大学編入等(専攻科を含む)の進学者は4,047人、就職者は5,945(正規5,934人、非正規7名、臨時4名)、専修学校・海外の学校等の入学者は122人、その他193名となった。

文科省高等教育局専門教育課の調査によると、2014年度(平成26年度)の全高専の本科の入学定員は、1万580人(国立9,400人、公立720人、私立460人)、また、学校基本調査によると、2014年度(平成26年度)の本科の志願者数と入学者数は、それぞれ1万9,197人(男子1万5,870人、女子3,327人)、1万969人(男子8,973人、女子1,993人)だった。
歴史
創設までの経緯

日本は、第二次世界大戦敗戦後、「教育の民主化」[注釈 7]などを求めたアメリカ教育使節団の勧告により、学校体系を「6・3・3・4制」(小学校6年間・中学校3年間・高等学校3年間・大学4年間)に一本化する単線型教育制度を導入するなどの学制改革を行った。これにより、旧制専門学校と、旧制高等学校を経て入学する旧制大学とに分化・階層化され、互いに交わることのなかった複線型教育制度が廃止された[注釈 8]

1950年代(昭和25年-昭和34年)に入ると、吉田茂首相の私的諮問機関・政令改正諮問委員会は、教育体系の例外として高校3年と大学の2年または3年をあわせた5年制または6年制の農・工・商・教育等の職業教育に重点を置く「専修大学」(学校法人専修大学の設置する大学を指すものではない)制度の創設を答申。旧・中央教育審議会は、これに追随する答申をまとめた。日経連経団連などの財界・産業界も、敗戦後の急激な工業化に即応するため、戦前型の旧制工業専門学校に見合う中級技術者養成を目的にした教育機関の新設を要求する「科学技術教育振興に関する意見」(日経連、1957年(昭和32年)12月)、「専科大学制度創設に対する要望意見」(日経連、1960年(昭和35年)12月)などの文書を次々と発し、制度の具現化を求めた[注釈 9]

政府は、これらの動きに対応して、専科大学制度を創設するため、学校教育法等の一部を改正する法律案[13]1958年(昭和33年)の第28回国会に上程。だが、日本短期大学協会は、暫定的な制度とされるも大学の一類型と見なされていた短期大学制度が専科大学に「格下げ」になるのではないかと反発。野党も「戦前の差別的な複線型教育制度を復活させるものだ」として反対したことから、第30回国会[14]、第31回国会[15]と3度法案を上程し、第30回国会、第31回国会では衆議院は通過するも審議未了廃案となった。

そのため、政府は、専科大学に代えて高等専門学校制度の創設を策定。専科大学は「深く専門の学芸を教授研究」を目的としていたものを、高等専門学校は「大学」の呼称を外したうえで「研究」目的を除外。さらに、工業分野に限定するなどの手直しを行い、大学・短期大学とは異なる教育制度であることを明確にしたうえで、第38回国会に学校教育法の一部を改正する法律案[16]として上程。その結果、与党の賛成多数により、成立し1961年6月17日に昭和36年法律第166号として公布された。
創設後の沿革

高専法の成立を受け、全国各地の自治体は高等専門学校の誘致合戦を展開、設置初年度の1962年(昭和37年)には、国立12校(1期校と呼称)が開校した。以後毎年10校前後が開校し、数年のうちにほぼ現在の学校数となった。全体で1,500人ほどの募集だった国立高専1期校は、平均17倍の志願倍率となり、これに刺激を受けた他の都道府県もいっそう強力に高専誘致を推し進めた結果、短期間のうちにほぼ全国に設置されるに至った。また、国立高専1期校の開校と同時に、公立は東京都立の2校(工業高専航空高専)、私立は金沢高専(現国際高専)、熊野高専(現 近畿大学高専)など5校が開校した。

さらに、1967年(昭和42年)には国立商船高等学校5校が、1971年(昭和46年)には国立電波高等学校3校が高専に昇格。1974年(昭和49年)には複合学科を特色とする徳山高専八代高専が開校して、国立高専の新設は一応の区切りを迎えた。その後、2002年(平成14年)に沖縄高専が設置され、2004年(平成16年)から学生の受け入れを開始した。

なお、商船、電波以外のほとんどの国立高専は新設校であったが、長岡高専宇部高専久留米高専の各校は、高専制度の創設に先行して設けられた国立工業短期大学が前身である[注釈 10]高知高専は暫定的に私立校として設置され、開校翌年、国立に移管された。このほか、都立2高専[注釈 11]や神戸市立六甲高専(現 神戸市立高専)、聖橋高専(現 埼玉工業大学)は工業高校から昇格し、大阪高専(現 摂南大学)は大阪工業大学に併設された各種学校(専科大学コース)が前身となり、大阪府立高専は大阪府立大学工業短期大学部第一部の廃止に前後して同一の敷地に新設されるなど、公立・私立にも既存の学校・短大を改組したところがある。


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