高砂部屋
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高砂部屋(たかさごべや)は、日本相撲協会所属で高砂一門相撲部屋。番付で用いるいわゆる相撲字では「はしご高」()を用いるが、部屋の看板を含めその他の活字媒体では「はしご高」を用いていない。
歴史

明治初期に角界の改革を求めて活躍した初代高砂浦五郎が一代で角界を代表する大部屋に育て上げ、現在までに横綱6人・大関8人を輩出するなど、角界屈指の名門部屋として知られる。

初代高砂(高見山大五郎)は角界の改革を求めて高砂改正組を組織し、東京相撲会所を脱退した。帰参後はもともと江戸相撲にあった「高砂」という名跡と重複する形となり、1889年に旧・高砂が高島へと改名し、新・高砂は名前は代々の通り名として「浦五郎」と名乗ることとなった。2代高砂から現在の8代高砂までは、初代高砂の名の「浦五郎」を継承している[注釈 1]

1986年5月には部屋経営を断念した大山部屋を吸収合併した。

1988年10月に5代高砂(第46代横綱・3代朝潮)が急逝したため、高砂部屋の部屋付き親方である14代尾上(元小結富士錦)が6代高砂を襲名して高砂部屋を継承した。翌1989年12月には、部屋施設を台東区橋場一丁目に移転した[1]。2001年3月場所には、闘牙が十両に陥落したことで、明治時代から続いた部屋の幕内力士在位が途絶えてしまった。

2002年2月1日、6代高砂の停年退職を間近に控え、高砂部屋から移籍して若松部屋を継承していた11代若松(元大関・4代朝潮)が名跡変更して7代高砂を襲名し、高砂部屋と若松部屋が合併した。もっとも、部屋施設は旧若松部屋の施設がそのまま利用されるなど、実質的には、若松部屋が高砂部屋を吸収合併した形であった(逆さ合併)。7代高砂は、若松部屋時代からの弟子である横綱・朝青龍や関脇・朝赤龍のほか、6代から引き継いだ小結・闘牙など多くの関取を擁して一大勢力を築いた。しかし、2000年代中期に闘牙や泉州山皇牙といった関取経験者が相次いで引退し、2010年には朝青龍も不祥事により引退して、2016年時点で関取は朝赤龍と朝弁慶の2人のみとなるなど、2000年代後半以降は部屋の勢力が急激に衰えた。それでも、1927年の東西相撲協会の合同以来、2016年11月場所まで90年間関取を絶やしたことのない部屋であったが、朝弁慶が2016年11月場所で幕下に陥落し、朝赤龍も次の2017年1月場所で幕下に陥落したため、1878年の部屋創設以来、初めて関取不在となった。同時に、継続中のものとしては最長だった関取継続の記録も138年で止まった[2]。その後、朝乃山が十両昇進を果たし、関取不在は一場所で解消している。

2020年11月26日、7代高砂の停年を間近に控え、部屋付きの親方となっていた17代錦島(元関脇・朝赤龍)と名跡を交換し、7代高砂は18代錦島、17代錦島は8代高砂をそれぞれ襲名し、8代高砂は同日付で部屋を継承した。4代以降、高見山を始め外国人力士を多く迎えている高砂部屋にとって、初の外国出身の親方が部屋を運営することになった[3]

2021年5月19日、大関・朝乃山の相撲協会新型コロナウイルス対応ガイドライン違反の行動が報道により発覚、協会コンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)による調査が行われた。調査の過程で、先代師匠の18代錦島(7代高砂)による違反行為も判明、8代高砂が通いの親方であることが問題視された。同年6月10日付で18代錦島は協会を退職、同年7月中に部屋の家主を8代高砂に変更することを6月4日の同委員会会合で確認したという[4]

昭和以降においては、高砂部屋からは大山部屋(後に高砂部屋と合併)・若松部屋(現在は高砂部屋と合併)・振分部屋高田川部屋東関部屋(現在は八角部屋と合併)・中村部屋(後に東関部屋と合併)・錦戸部屋が分家独立を果たしている。なお、現在の高砂部屋は合併前の若松部屋の建物を引き続き使用しており、6代高砂時代の部屋の建物は2004年2月まで錦戸部屋、同年9月からは常盤山部屋(旧千賀ノ浦部屋)が使用していたが、常盤山部屋は2021年2月に板橋区に移転した[5]。2021年5月場所後には立浪部屋が同地に移転した[6]

伝統的に稽古土俵は俵を使わず、浅く掘り下げた「皿土俵」と呼ばれる仕様を採用している。怪我の防止のためとされ、分家である東関部屋や錦戸部屋にも受け継がれている。
新型コロナウイルス集団感染

2021年7月27日、日本相撲協会は8代高砂と大関・朝乃山、幕下以下の力士5人が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。同月26日に幕下以下の力士1人が体調不良を訴え、PCR検査を実施したところ陽性が判明した。このため専門家の指導のもと部屋所属の協会員を対象に検査したところ、8代高砂と大関・朝乃山を含む力士の感染が分かったという[7]。保健所の指示に基づき、濃厚接触者の調査や入院・療養との対応が行われる予定である[8]。同月30日に芝田山広報部長が電話取材に応じ、新たに幕下以下の力士1人の感染が判明したことを公表した[9]

同年8月9日、入院していた幕下以下の力士1人が退院していたことが公表された。芝田山広報部長は感染症学の専門家の意見を参考に各部屋に注意喚起の通達を出していることを明かした。デルタ株は感染力が強いため、予防を呼びかけているという[10]
所在地

東京都墨田区本所3-5-4

総武線大江戸線両国駅より徒歩20分

浅草線本所吾妻橋駅より徒歩10分


師匠

代数親方名引退時の四股名最高位出身地
初代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)
高砂浦五郎前1千葉
2代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)高見山宗五郎関脇千葉
3代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)2代目朝潮大関愛媛
4代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)前田山英五郎横綱愛媛
5代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)3代目朝潮横綱鹿児島
6代高砂浦五郎[注釈 1](たかさご うらごろう)富士錦猛光小結山梨
7代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)4代目朝潮大関高知
8代高砂浦五郎(たかさご うらごろう)朝赤龍太郎関脇モンゴル

部屋付き親方

若松武彦(わかまつ たけひこ、前1・朝乃若愛知

行司

33代木村庄之助(青森)

4代木村朝之助(神奈川)(若松部屋より)

呼出

三平(三重)

床山

床弓(一等床山)

力士

太字は幕内最高優勝経験者(1911年以降)
現役の関取経験力士

朝乃山広暉(大関・富山)7代、8代弟子

朝乃若樹(十4・新潟)7代、8代弟子

朝紅龍琢馬(十4・大阪)8代弟子

朝弁慶大吉(十7・神奈川)7代、8代弟子


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