高砂市
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たかさごし 
高砂市
生石神社石の宝殿


高砂市旗高砂市章
1954年12月14日制定[1]

日本
地方近畿地方
都道府県兵庫県
市町村コード28216-2
法人番号1000020282162
面積34.38km2

総人口84,780人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度2,466人/km2
隣接自治体姫路市加古川市
市の木マツ
市の花キク
他のシンボル-
高砂市役所
市長[編集]都倉達殊
所在地676-8501
兵庫県高砂市荒井町千鳥1丁目1番1号
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市庁舎位置

外部リンク公式ウェブサイト

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村

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ウィキプロジェクト

高砂市(たかさごし)は、兵庫県播磨南東部に位置するである。東播磨県民局管轄区域の1つ。1954年に市制を施行した。

漁業、採石業、海岸部の工業地帯における各種製造業が営まれている。

長い歴史を持ち、市内南部を中心に神社が多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られる。
地理上空から見た高砂市

高砂市は播磨灘に面している。かつての沿岸は比較的遠浅の砂浜海岸だったが、昭和時代にほぼ全域が埋立地として造成された(後述)。市域の大部分は加古川の河口部の西側に形成された沖積平野にあり[2]、地名の由来となっている(後述)。標高が比較的低い平坦な陸地が目立つ。

一方で、市域の北西部には「播磨アルプス」と呼称される山々がそびえ、隣接する加古川市との市境に位置する高御位山が高砂市内の最高峰である[3]。さらに、市域内に凝灰岩質の岩山が点在している。これらの岩山では、長年にわたって採石が続けられてきた結果、山肌が大きく削られた特徴的な景観が見られる。

高砂市の気候帯は瀬戸内海式気候の区分内にあり、年間を通して比較的温暖であり、平年の降水量は少ない[2]。空気の乾燥する時期の2011年1月24日には高砂市の北端部の鷹ノ巣山山火事が発生し、高御位山方面へと延焼し、1 km2を超える山林が消失した。このような気候下において農業用水を安定的に確保するため、歴史的に農業用水路ため池が整備され、特に後者は市内北西部・阿弥陀地区の農地やその跡地に数多く残存している。その反面、ひとたび台風などがもたらす記録的大雨が降ると、標高の低さが災いし、高潮洪水などの浸水被害に見舞われた(近年では1976年の台風17号1990年の台風19号2004年の台風23号2011年の台風12号などが該当する[4][5][6])。これを防ぐため、加古川の河道改修(後述)など、治水のための土木工事が中世から現代にかけて多く実施された。

主な山:高御位山、竜山、日笠山

主な河川:加古川[注釈 1]、法華山谷川(洗川)[注釈 2]、天川[注釈 3]、鹿島川(松村川)

主な湖沼:堂池、市ノ池、阿弥陀新池(以上はいなみ野ため池ミュージアムを形成)、竿池・弟池、忽毛池

歴史

高砂市の南西部・曽根地区の山麓には、縄文時代の貝塚遺跡である日笠山貝塚がある[7]。『播磨国風土記』にある説話の舞台・「南毘都麻島(なびつまのしま)」を現在の高砂近辺と比定する研究がある[8]

市内各所で複数の古墳が確認されており[9]、市内の山から切り出されたものと考えられる石棺も出土している[2]。同質の凝灰岩製石棺は畿内各地に流通したと考えられ、奈良県の見瀬丸山古墳や大阪府の墓山古墳でも出土した。

後の市名となる「たかさご」とは、砂が河口で堆積して盛り上がった状態を表す古語「たか-いさご」が転訛した[10]、地形を示す一般名詞であった。「高砂」が加古川近辺の寄港地を示す地名として確認できる最古の文献は827年天長4年)ごろに編纂された『経国集』13巻における、淡海福良満(おうみ の ふくらまろ)による、

「夕次高砂浦 時風暴且寒」
――ゆうべ(=夜)に.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}次(やど)る高砂の浦 時つ風暴(あら)く且(か)つ寒し

で始まる、「夕宿播州高砂(ゆうべにばんしゅうたかさごにやどる)」という題の律詩である[11]。少なくとも平安時代までには「高砂泊[12]」と呼ばれる漁業や物流の拠点がこの地域に成立したと考えられている。ただし、この「高砂泊」は現在の高砂町にあたる地域とは異なり、加古川をはさんだ対岸の、現在の加古川市尾上町にあった[注釈 4]

鎌倉時代には塩田による食塩の生産が始まった[注釈 5](これより以前、現在の荒井町にあたる地域で行基による製塩指導が行われたという伝説がある[10])。室町時代より梶原氏が代々城主を務めた高砂城は、戦国時代三木合戦の際に別所氏側の兵糧供給拠点として機能したが、羽柴秀吉によって落城させられた(高砂城の戦い)。なお室町時代前期には現在の米田の周辺に局地的ながら甚大な被害を出した地震が起きたと伝えられている[13]

姫路藩成立後、加古川流域の開発事業として現在の高砂町に当たる地域への港の移設[注釈 4]と区画造成が開始された[注釈 6]。その後、江戸時代を通じて高砂は加古川の舟運をベースにした物資の集散地として、また播磨灘の海運の要衝として、さらに御用蔵を設けた藩の拠点都市として繁栄していった。江戸時代には、同町出身の工楽松右衛門が高砂を拠点に海運業や港湾改修などを広く手掛けた。工楽家旧宅は現存し、一般開放されている。

これらの名残として高砂町には江戸時代から大正昭和時代初期にかけて建てられた・蔵跡、木造洋館レンガ造りの倉庫などの関連建物が長く残り、町内は特有の景観を形成している。また、細かい町割りからなる当時の町名が現代に至るまで残され(後述)、各町には町名を紹介する看板が立てられている[14]

河川水を容易に得られる土地であり、かつ海岸付近が埋め立てに適した遠浅の地形であったため、明治維新後、工場の立地が相次いだ。第二次世界大戦の頃までは軍需産業が盛んだった。戦後においては市制施行直後の1955年に、市の「工場誘致条例」が施行され、軍需工場の払い下げ地に重化学工業および食品製造業分野の工場が多く進出した[15]。海岸は1961年から1974年にかけて、県の事業によって計約280万平方メートルにわたって埋め立てられ[15]播磨臨海工業地帯の中核のひとつとして財政的発展をとげるに至った。しかし同時に、底質汚染などの公害問題がもたらされ[16]、長期の行政課題となったほか、「入浜権運動」に代表される、かつての海を取り戻すための市民運動も起きた[17]
和歌と能に登場する高砂高砂郵便局前のポスト上に設置された「尉と姥」像。

松(クロマツ)は日本列島の海岸、とりわけ砂地に多く植えられてきた。また先史時代より、本州各地で防波・防潮のために植林・造林が行われてきた形跡がある。松林と砂浜との取り合わせは美観とされてきた経緯があり、万葉集が編纂された時代には「たかさご」は「まつ(松、待つ)」「をのへ(おのえ。山の頂上の意。)[注釈 7]」という語を修飾する枕詞として定着するに至った。

紀貫之は『古今和歌集仮名序』で和歌に織り込まれるテーマを多く列挙して、感興と癒しの効能を説いており、その1つとして「相生の松」が登場する。

「古(いにしへ)の世々のみかど…(中略)…高砂・住江の松も相生(あひおひ)のやうにおぼえ…(中略)…歌をいひてぞなぐさめける」

畿内では松や海をモチーフとした伝承が古くから広く知られていたと考えられている。世阿弥はこの伝承に取材し、能『高砂』を作った。阿蘇の神官・友成が、上京途上に高砂の浦で出会った尉と姥(じょう-と-うば または じょう-と-んば=老夫婦)に、高砂と海を隔てた住吉(すみのえ)に生えた「相生(相老い)の松」の伝説を聞き、尉と姥が「われわれこそ、その松の精である」と明かし、姿を消すという筋である。「高砂や。この浦舟に帆を上げて……」という一節がよく知られ、現在では日本式の結婚披露の場などで謡われることが多い(ウィキクォート世阿弥の項も参照)。

その後、工業用地の造成などにより、市内の松林と砂浜の多くが失われた。しかし向島公園、あらい浜風公園を始めとする海浜公園の整備など、往時の景観をしのぶ努力が払われるようになった。

また高砂神社の相生の松(松ぼっくり)をモチーフとして2009年に、市のマスコットキャラクター「ぼっくりん」が誕生した[18]
行政区域の変遷

1954年7月1日 - 加古郡高砂町荒井村印南郡曽根町伊保村が合併して発足。

1956年9月30日 - 印南郡阿弥陀村米田町の大部分(米田・米田新・古新・塩市・島・神爪)を編入。


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