高知県立高知丸の内高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度33分49.4秒 東経133度31分58.6秒 / 北緯33.563722度 東経133.532944度 / 33.563722; 133.532944
高知県立高知丸の内高等学校(こうちけんりつ こうちまるのうちこうとうがっこう、Kochi Prefectural Kochi Marunouchi High School)は、高知県高知市丸ノ内二丁目にある県立高等学校。通称は「丸」もしくは「丸高」。
概要
歴史
1887年(明治20年)に高知県尋常中学校(現: 高知県立高知追手前高等学校)へ設置された女子部を前身とする。2016年(平成28年)に創立130周年を迎えた。
設置学科
全日制課程(単位制)普通科(学年制)音楽科(1学年あたり30名)
校訓
「洞察力・豊かな人間性・凡事徹底」 - 2006年(平成18年)に制定。
校章
校名を表す「丸」と学問を表す3本の「ペン先」の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字を置いている。1949年(昭和24年)に山本開生によって制定された。
校歌
1955年(昭和30年)に制定。作詞は喜志邦三、作曲は樋口昌道による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「丸の内」が登場する。
制服
男女ともに冬服はブレザー。男子はネクタイ、女子はネクタイリボン。シャツは男子が白・青の2色、女子は白・青・ピンクの3色がある。またスカートはチェック柄でグレー・エンジ・ブルーの3種類がある。別に、音楽科は黒の無地の下に白い線があるスカートが存在し、定期演奏会などの音楽科限定の行事でのフォーマルとなる。音楽科男子には黒のズボンが存在する(なお、普段は黒でもグレーでもよい)。式典などの学校行事の際はフォーマルであるが、それ以外の時はポロシャツ(白)、ベスト(白)、セーター(グレー)、ダッフルコート(現在はない模様)などと比較的自由に組み合わせて着ることができる。
沿革
旧制中学校女子部時代
1887年(明治20年)9月 - 高知県尋常中学校女子部が設置される。計129名を1年3学級、2年1学級に編成する。
1890年(明治23年)7月 - 第1回卒業式を挙行。卒業者数は10名であった。
高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
1893年(明治26年)4月1日 - 高知県尋常中学校より分離の上、高知県高等女学校として独立。年度始めを4月に変更する。
1897年(明治30年)4月1日 - 小学校教員の養成を目的とした補習科を設置。入学資格を高等女学校本科卒業、修業年限を1か年、定員を30名とする。
1900年(明治33年)8月 - 校友会が発足。当初の会員数は約200名。
1901年(明治34年)
6月 - 高知県立高等女学校と改称。
11月 - 袴の裾に白線1本を加える。当時の女学生の装いはひさし髪に長袖、木綿の袴、赤い鼻緒の下駄といった和装であった。
1904年(明治37年)4月 - 寄宿舎を設置。
1905年(明治38年)6月 - 紋章を制定。
1914年(大正3年)7月 - 旧・高知県立農林学校跡(現在地)に移転。講堂屋内体操場を増築。募集定員を150名(3学級)とする。
1922年(大正11年)4月1日 - 高知県立高知高等女学校と改称。定員を1,000名・20学級とする。
1926年(大正15年)4月1日 - 高等女学校(高知県立高知第二高等女学校)の新設に伴い、高知県立高知第一高等女学校と改称。
修業年限を5ヶ年、定員を1,000名とする。女学生の服装を和服から洋服に変更する。
1928年(昭和3年)
10月 - 創立40周年を記念し、校歌(初代)を制定。作詞は沖良貞、作曲は宮原禎次による。
11月 - 開校40周年記念式典を挙行。もともと前年に行う予定であったが大正天皇崩御のため式を一年延期して行われた。
1935年(昭和10年)3月 - 校歌(二代目)を制定。作詞は土井晩翠、作曲は下総皖一による。
1938年(昭和13年)2月 - 校舎落成および開校50周年記念式典を挙行。
1945年(昭和20年)6月 - 空襲により、校舎と講堂を消失。
1946年(昭和21年)4月1日 - 高知県立第二高等女学校を統合し、高知県立高知高等女学校と改称。終戦により、4ヶ年に短縮されていた修業年限が5ヶ年に戻る。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
高等女学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設(以下・併設中学校)し、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校はあくまで暫定的に設置されたもので、新たな生徒募集は行われず、在校生が高等女学校から収容された2・3年生だけであった。
高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生となる。
1948年(昭和23年)
3月 - 本館が完成。
4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校高知県立高知女子高等学校が発足。
高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生として編入。併設中学校卒業生を新制高校1年生として収容。
併設中学校の在校生が、1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生だけとなる。
1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
新制高等学校(男女共学)
1949年(昭和24年)9月 - 高校三原則に基づく高知県内公立高校再編により、高知県立高知丸の内高等学校(現校名)と改称され、男女共学を開始。
この時、高知市内にあった普通科高5校が統合により、小津・追手前・丸の内の3校となった。
校章を制定。
全日制課程普通科、別科、朝倉分校を設置。
1950年(昭和25年)4月1日 - 被服科を設置。
1955年(昭和30年)11月 - 校歌(現校歌)を制定。
1956年(昭和31年)5月 - 校旗を制定。
1962年(昭和37年)5月 - 体育館が完成。