本記事の被告人・片岡晴彦は、積極的に実名を公開し訴求活動を行っていることから、削除の方針ケースB-2の「削除されず、伝統的に認められている例」に該当するため、実名を掲載しています。
この項目では、死亡者の実名は記述しないでください。記述した場合、削除の方針ケースB-2により緊急削除の対象となります。出典に実名が含まれている場合は、その部分を伏字(○○)などに差し替えてください。
座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度31分16.877秒 東経133度28分24.479秒 / 北緯33.52135472度 東経133.47346639度 / 33.52135472; 133.47346639
高知白バイ衝突死事故
場所 日本・高知県吾川郡春野町弘岡中(現在の高知市春野町弘岡中)
日付2006年(平成18年)3月3日
概要スクールバスと白バイの交通事故
死亡者高知県警察交通機動隊巡査長(白バイ隊員、殉職後二階級特進で警部補)
対処高知県警察がスクールバス運転手を業務上過失致死罪容疑で逮捕。最高裁判所上告棄却、禁錮1年4か月
テンプレートを表示
高知白バイ衝突死事故(こうちしろバイしょうとつしじこ)は、2006年(平成18年)3月3日に高知県吾川郡春野町弘岡中で発生した白バイ警察官の死亡事故。
概要事故を起こしたものと同型の白バイ
2006年(平成18年)3月3日午後2時30分頃、高知県吾川郡春野町弘岡中にある道路左側のレストラン駐車場を出発したスクールバス(日野・メルファ)が、国道56号の交差点へ道路外から右折横断して進入しようとしたところ、高知県警察交通機動隊の巡査長が運転する白バイと衝突し、当時26歳の巡査長は胸部大動脈破裂で死亡した。スクールバスの運転手と乗客の仁淀川町立仁淀中学校3年生22人と教員3人にけがはなかった。
スクールバス運転手は、安全確認不十分のまま道路へ進入して事故を起こしたとして逮捕されて起訴されたが、運転手は、起訴事実はなくバスは停止しており複数証人もいる冤罪として無罪を主張した。
高知県警は高知県議会や記者会見で、証拠捏造や白バイの過失を否定した。県警の交通部長は同年3月30日にあった定例記者会見で、「普通に考えて、スリップ痕の偽造なんてやろうと思ってもできるわけがない」と述べ、上告して争っている元運転手側の「スリップ痕は捏造された」という主張に反論した[1]。公道で白バイを高速運転で訓練することは全くありません。ただし、速度違反を取り締まるときには、追跡が必要ですから高速で走ることは当然であります。訓練をすることはありません。訓練は別のところでやります。 ? 交通部長、高知県議会総務委員会 2007年12月21日議事録より過失の、委員のおっしゃっているのは、その私も新聞報道で裁判の推移は見守っているんですが、過失が例えば白バイ隊員の、2割とか、3割とか、4割とか、あるいは何か最近の報道によりますと、すべてスクールバスの方は過失はなかったんだと。あれは警察の捏造であったとかいうような、そういうふうな形で、集会とか何か開いたというのを先般の新聞記事で読みました。そこへ行く前に、我々の方は、現場で捜査をするし、きちっとしたことで、これは明らかに殉職であるということで、認定をして殉職の手続をとり、その他についても、既に支給を受けている部分もあります。 ? 会計課長、高知県議会決算特別委員会 2007年10月22日議事録より
2008年(平成20年)8月20日に最高裁判所は被告人の上告を棄却し、一審通り禁錮1年4か月の刑が確定した。元運転手は同年10月23日に高知地方検察庁へ出頭し、高知刑務所で数週間収容されたのち、同年11月から加古川刑務所(交通刑務所)で服役し、2010年(平成22年)2月23日に出所した。身元引受人が居るにもかかわらず仮釈放が認められず、量刑を満期まで務めて出所した。
一方、元運転手が、何者かによりスリップ痕を偽装されたとする告発を行った件につき、2009年1月に高知検察審査会が不起訴不当との決議を行ったことを受け、高知地方検察庁により再捜査が行われたが、同年3月に不起訴処分となり、小野正弘高知地方検察庁次席検事から「必要な捜査をした結果、バスが急ブレーキを踏んだことでついたスリップ痕だと判断した」とのコメントがなされた[2]。