高知城
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高知県
追手門天守(いずれも重要文化財
別名鷹城
城郭構造梯郭式平山城
天守構造独立式望楼型 4重6階(1601年築・1747年再、現存)
築城主大高坂氏?
築城年南北朝時代14世紀頃)
主な改修者長宗我部元親山内一豊山内豊敷
主な城主山内氏
廃城年1871年明治4年)
遺構現存天守、御殿、、門
石垣、堀、鐘撞堂
指定文化財重要文化財(天守など15棟)
国の史跡
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度33分38.53秒 東経133度31分53.54秒 / 北緯33.5607028度 東経133.5315389度 / 33.5607028; 133.5315389
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代表紋章:丸に細三つ柏・土佐柏

高知城(こうちじょう)は、高知県高知市にある日本の城や壁の色がの羽の色に似ているとして、鷹城(たかじょう)とも呼ばれる[1]

江戸時代には土佐藩藩庁が二の丸御殿に置かれた[1]。江戸時代に築かれた天守が残る現存天守十二城の一つ[1]であるほか、本丸御殿や追手門等が現存する[注 1]。城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。四国八十八景27番。
概要

高知平野のほぼ中心に位置する大高坂山(標高45m[1])上に築かれた梯郭式平山城で、山の南を流れる鏡川、北の江ノ口川をそれぞれ外堀として利用されていた。

戦国時代以前には大高坂山城(おおたかさかやまじょう/おおたかさやま-)[注 2]または大高坂城と呼ばれる城が築かれていた。最初の築造時期は南北朝時代[1]。土佐の戦国大名として台頭した長宗我部元親は1588年(天正16年)、岡豊城(おこうじょう)からここへ本拠地を移そうとしたが低湿地の山麓は工事が難航し、代わりに港(浦戸湾)に臨む浦戸城を選んだ[1](異説もあり、後述)。

長宗我部氏は関ヶ原の戦いで敗れた西軍に与して改易され、代わりに翌1601年(慶長6年)、山内一豊土佐国を与えられて土佐藩を立てた。一豊は大高坂山で築城に取り掛かり、1603年(慶長8年)に本丸や二の丸は完成したが、城全体の完工は1611年(慶長16年)[1]、一豊の没後で二代目藩主の忠義の代になっていた。3層6階の天守は、一豊が加増・転封前に居城としていた掛川城静岡県)を模したといわれる。一豊により河中山城(こうちやまじょう)と名付けられたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名となった。

江戸時代初期の建物は1727年(享保12年)の大火でほとんどが焼失し、1753年(宝暦3年)まで四半世紀かけて再建され、現存天守は1749年(寛延2年)造と推測されている[1]

高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られていて、又天守と本丸御殿が両方現存する唯一の城である。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れて天守、本丸御殿、追手門など15棟の建造物が現存し、全て国の重要文化財に指定されている。現在これらは高知県の所有物となっている。また、この15棟の現存建造物に加えて、土佐山内家宝物資料館に丑寅櫓の一部であると伝わる部材が収蔵されている。

城全域は高知公園として無料で開放されているが、天守および本丸御殿(別名「懐徳館」)への入館は有料となっている。城の周辺には高知市役所高知県庁高知地方裁判所高知地方検察庁といった行政・司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっている(県庁舎のみ実質的には公園内にある)。

また、城内には一豊と妻の千代(見性院)、板垣退助の銅像が立つ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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