高田誠_(野球)
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高田 誠くふうハヤテベンチャーズ静岡 ヘッドコーチ
基本情報
国籍
日本
出身地東京都江東区
生年月日 (1964-06-09) 1964年6月9日(59歳)
身長
体重179 cm
81 kg
選手情報
投球・打席右投両打
ポジション捕手
プロ入り1986年 ドラフト3位
初出場1988年4月10日
最終出場1998年5月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


法政大学第二高等学校

法政大学

読売ジャイアンツ (1987 - 1991)

オリックス・ブルーウェーブ (1992 - 1998)

監督・コーチ歴


読売ジャイアンツ (1999 - 2005, 2012 - 2013, 2016 - 2019)

くふうハヤテベンチャーズ静岡 (2024 - )

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高田 誠(たかだ まこと、1964年昭和39年〉6月9日 - )は、東京都江東区[1]出身の元プロ野球選手捕手、右投両打)、コーチ
来歴・人物

江東区の深川二中を経て法政二高2年の秋、三塁手から捕手に転向し、1982年夏の甲子園に五番打者として出場[1]。3回戦に進むが東洋大姫路高に敗退[2]。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中4回優勝、1984年1985年全日本大学野球選手権大会でも優勝を経験。1985年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出される[1]1986年度には主将を務めた[1]。大学同期に石井丈裕猪俣隆投手金子誠一外野手がいる。

1986年のプロ野球ドラフト会議読売ジャイアンツから3位指名を受け入団[1]

1988年には開幕一軍を勝ち取り、14試合に先発マスクを被る。シーズン途中に故障で離脱した山倉和博に代わる正捕手として期待されたが打撃面で伸び悩み、ベテランの有田修三に出番を奪われた。

1989年以降は中日から加入した中尾孝義や、若手の村田真一吉原孝介らの活躍で出場機会に恵まれず、1991年シーズン終了後に藤田浩雅との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍した[1]

移籍当初は中嶋聡に次ぐ2番手捕手という立場であった。

1993年には中嶋の不調もあって正捕手の座を獲得。同年に記録したプロ7年目での初本塁打は大学同級生の石井丈裕から打った。

1994年に自己最多となる104試合に出場、うち90試合に先発し打率.271を記録する。

1995年には中嶋にポジションを奪還される。

1996年のシーズン後半には再び正捕手に定着。高いリード力でチームの連覇に貢献し、同年の日本シリーズで古巣巨人と対戦。全5試合に出場し、うち4試合には先発出場、日本一を決めた瞬間もマスクを被った。同年のゴールデングラブ賞を受賞。

1997年は一番手捕手三輪隆、二番手中嶋の体制になり先発出場は僅か4試合に終わる。

1998年は中嶋がFAで西武に移籍し、三輪がプロ野球脱税事件の処罰で1軍出場できない関係もあり開幕からマスクを被ったがチームは開幕から大不振で高田が先発出場した14試合も3勝11敗となり二軍落ち、その間に三輪が戻り日高剛の台頭もあり移籍後ワーストの一軍出場に終わる。シーズン終了後には戦力外通告を受け現役を引退[1]

オリックス時代の応援歌はアニメ『ゴールドライタン』の主題歌の替え歌だった。


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