高田本山駅*
駅舎(2008年3月)
たかだほんざん
Takadahonzan
◄E38 江戸橋 (1.2 km) (2.4 km) 白塚 E36►
左は東一身田駅(伊勢鉄道)
所在地三重県津市一身田平野369-2.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分20秒 東経136度30分59.1秒 / 北緯34.75556度 東経136.516417度 / 34.75556; 136.516417
高田本山駅(たかだほんざんえき)は、三重県津市一身田平野にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。駅番号はE37。
歴史
1915年(大正4年)9月10日:伊勢鉄道白子 - 当駅間開通時に一身田町駅(いしんでんちょうえき)として開業[1]。国鉄参宮線一身田駅の南200メートルに位置した。
1917年(大正6年)1月1日:伊勢鉄道が津市駅(後の部田駅)まで延伸[1]。途中駅となる。
1918年(大正7年)11月1日:高田本山駅に改称[2]。
1926年(大正15年)9月11日:伊勢鉄道の社名変更により、伊勢電気鉄道の駅となる[1]。
1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併[1]、参宮急行電鉄名古屋伊勢本線の駅となる[3]。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道の駅となる[1]。路線名が改定され、名古屋線の所属となる[3]。
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身)と合併、近畿日本鉄道の駅となる[1]。
1955年(昭和30年)7月15日:江戸橋 - 白塚間ルート変更に伴い、東500メートル地点に駅移設[4]。
2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[5]。
2013年(平成25年)12月21日:終日無人駅化。
駅構造ホーム(2012年1月)
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。ホーム有効長は4両。2番ホーム(西側)四日市寄りに駅舎がある。1番ホームとは構内踏切で連絡している。便所は改札内にあり、男女別の水洗式。
津駅管理の無人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。 のりば路線方向行先 近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[7]。 「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[8]。 年度一日平均 高田本山駅の利用状況の変遷を下表に示す。 (高田本山駅)
のりば
1E 名古屋線下り賢島方面[6]
2上り近鉄名古屋方面[6]
当駅乗降人員
2022年11月8日:1,288人
2021年11月9日:1,343人
2018年11月13日:1,851人
2015年11月10日:2,093人
2012年11月13日:1,829人
2010年11月9日:1,961人
2008年11月18日:2,178人
2005年11月8日:2,399人
利用状況
乗車人員
1997年930
1998年931
1999年947
2000年990
2001年971
2002年955
2003年944
2004年925
2005年930
2006年921
2007年896
2008年947
2009年900
2010年862
2011年817
2012年833
2013年838
2014年864
2015年895
2016年911
2017年900
2018年889
2019年810
2020年652
輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度乗降人員調査結果:人/日特記事項
通勤定期通学定期定期外合 計調査日調査結果
1950年(昭和25年)343,110←←←←283,987627,097
1951年(昭和26年)367,530←←←←236,819604,349
1952年(昭和27年)343,680←←←←219,269562,949
1953年(昭和28年)372,960←←←←214,594587,554
1954年(昭和29年)353,970←←←←204,419558,389
1955年(昭和30年)276,570←←←←174,906451,476
1956年(昭和31年)248,430←←←←134,001382,431
1957年(昭和32年)230,400←←←←127,652358,052
1958年(昭和33年)231,360←←←←121,950353,310
1959年(昭和34年)229,740←←←←108,192337,932
1960年(昭和35年)215,820←←←←96,983312,803
1961年(昭和36年)224,430←←←←92,653317,083
1962年(昭和37年)238,020←←←←96,546334,566
1963年(昭和38年)249,330←←←←81,483330,813
1964年(昭和39年)245,640←←←←91,609337,249
1965年(昭和40年)249,600←←←←99,463349,063
1966年(昭和41年)257,010←←←←108,757365,767
1967年(昭和42年)252,120←←←←102,670354,790
1968年(昭和43年)229,800←←←←102,809332,609
1969年(昭和44年)227,400←←←←118,853346,253
1970年(昭和45年)233,400←←←←129,454362,854
1971年(昭和46年)256,230←←←←155,155411,385
1972年(昭和47年)279,990←←←←181,932461,922
1973年(昭和48年)293,700←←←←216,340510,040
1974年(昭和49年)353,850←←←←194,174548,024
1975年(昭和50年)353,530←←←←190,776549,306
1976年(昭和51年)372,480←←←←155,776528,256
1977年(昭和52年)378,480←←←←153,750532,230
1978年(昭和53年)365,160←←←←150,327515,487
1979年(昭和54年)358,440←←←←145,677504,117
1980年(昭和55年)339,360←←←←142,009481,369
1981年(昭和56年)324,540←←←←139,347463,887
1982年(昭和57年)311,820←←←←144,984456,80411月16日3,378
1983年(昭和58年)307,830←←←←143,304451,13411月8日3,143
1984年(昭和59年)295,500←←←←142,824438,32411月6日3,199
1985年(昭和60年)321,330←←←←153,703475,03311月12日3,408
1986年(昭和61年)346,890←←←←162,632509,52211月11日3,743
1987年(昭和62年)362,730←←←←156,787519,51711月10日4,021
1988年(昭和63年)357,570←←←←155,768513,33811月8日3,700
1989年(平成元年)336,660←←←←156,983493,64311月14日3,908
1990年(平成2年)328,980←←←←154,354483,33411月6日4,303
Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef