高田文夫
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高田 文夫
本名高田 文雄
ニックネーム高田ギョロメ文夫
高田先生
高田君
文夫ちゃん
生年月日 (1948-06-25)
1948年6月25日(75歳)
出身地 日本東京都渋谷区
言語日本語
方言東京弁
最終学歴日本大学芸術学部放送学科
師匠塚田茂(破門)
立川談志
事務所高田文夫事務所
活動時期1973年 -
現在の代表番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ
過去の代表番組『ビートたけしのオールナイトニッポン
600 こちら情報部
らくごin六本木
北野ファンクラブ』 など
他の活動放送作家
タレント
演芸評論家
落語家(立川藤志楼)
一般社団法人漫才協会外部理事
配偶者既婚
親族山田礼於[1](妻の妹の夫)
受賞歴
みうらじゅん賞2008年
ビートたけしのエンターテインメント賞カムバック賞2013年[2]
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高田 文夫(たかだ ふみお、1948年昭和23年〉6月25日 - )は日本の放送作家タレント。本名は高田 文雄(読み同じ)。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」「高田センセー[3]」。

落語家として、「立川 藤志楼」の高座名で落語立川流Bコース入りしている[4]。「駄句駄句会」同人、俳号は「風眠(ふうみん)」。生年月日は沢田研二誠直也と同じ。長男は日刊スポーツ記者の高田文太[5]

東京ヤクルトスワローズのファンとしても知られている。
経歴・人物
生い立ち

東京都渋谷区富ヶ谷に生まれる[6]。父の高田栄三は歴史書関係の出版社 国文社の経営者で丹羽文雄と仲が良かった事から「文雄」と名付けられた[7][8]。父方の親戚は出版社の経営者が多く、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎もその一人で芸能好きは彼の影響が大きい[9]。母方は代々、渋谷で鳶の頭を務めた[10]。兄弟は姉2人。

5歳の時、世田谷区千歳船橋に引っ越しして、そこで育つ[11]。近所に森繁久彌宅、清川虹子宅があった[11]。小学校低学年から詩吟を習い、全国大会で3位になったことがある[3]

小学校の時に『雲の上団五郎一座』『おとなの漫画』(フジテレビ)などに強い影響を受けて、青島幸男を目標に放送作家を志す。世田谷区立船橋中学校、日本学園高校を経て、日本大学芸術学部放送学科に入学し、落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属。中学の同級生に俳優の志賀廣太郎が、高校の同級生に俳優の荒木しげるが、大学の同期に高井正憲[12]古今亭右朝が、後輩に森田芳光がいる。立川談志に心酔、談志の著書『現代落語論』がバイブルで「落語の才能が無い」と森田を辞めさせている[7]。「青島幸男に憧れて、早稲田を志したが出来が悪かったので諦めた」と著書に記した。

中学高校でエルヴィス・プレスリービートルズの洗礼を受けたロック少年であり、高校時代はボーカルとして「高田バンド」を結成した。当時から既にライブでは曲の合間に漫談やコントを入れていた。[13]
放送作家

大学卒業後は放送作家の塚田茂に弟子入り(後に破門)して、「スタッフ東京」設立に参加。1973年、『ひらけ!ポンキッキ』で放送作家デビュー。

その後は『時間だヨ!アイドル登場』(日本テレビ)『ロッテ 歌のアルバム』『笑ってポン!』(以上、TBS)、『スターどっきり(秘)報告』『夜のヒットスタジオ』『オレたちひょうきん族』『らくごin六本木』(以上、フジテレビ)、『笑アップ歌謡大作戦』(テレビ朝日)、『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京)、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、フジテレビの正月の名物番組『初詣!爆笑ヒットパレード』など数多くのバラエティ番組を手掛ける。『スターどっきり』『凸凹大学校』などの番組テーマ曲の作詞も手掛けた。

著書の『江戸前で笑いたい』やテレビ史の番組のインタビューでは構成を担当していた『ひょうきん族』の裏番組であり、高田自身も構成を一時期担当していた『8時だョ!全員集合』への対抗心から、いかりや長介の傲慢ぶりを批判したり、「ドリフはアドリブがなく、自分が考える笑いとは違う」などと述べた[14]

2009年より、日大芸術学部時代からの友人で放送作家の松岡孝に頼まれ、放送作家養成セミナーの講師を務めた。

2024年現在、番組構成の仕事は殆ど行っていないが、後述するタレント活動や作詞、プロデュースなどを手掛けている。
弟子
松岡 昇 (まつおか のぼる)
1962年、山口県生まれ。日本大学在学中に弟子入り。『ビートたけしのオールナイトニッポン』のハガキ仕分けを皮切りに笑福亭鶴光、伊集院光、ナイツ、清水ミチコなどのラジオ番組を担当。清水ミチコをアネキ、橋克実をアニキと尻尾を振る姿から、師匠の高田に「子分肌マツオカ」と命名された。妻は
増山さやか(ニッポン放送アナウンサー)。
元祖爆笑王(がんそばくしょうおう、本名は高橋 裕幸(たかはし ひろゆき))
1964年、秋田県生まれ。日本大学芸術学部の2年次に弟子入り。卒業と同時に『田中義剛のオールナイトニッポン』『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』などの構成を手掛け、『大事MANブラザーズバンド・立川俊之のパックインミュージック21』は立川の相方として出演。テレビは『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『殿様のフェロモン』『めちゃ×2モテたいッ!』『学校では教えてくれないこと!!』『笑っていいとも!』『初詣!爆笑ヒットパレード』『出動!ミニスカポリス』などを担当した。最近では地方局でも活躍(東京・大阪・名古屋・福岡・札幌の基幹5地区全てで手掛けた)。テレビ西日本他FNS 4局共同番組『日韓親善ライブ 笑ってチョゴリ』が日本民間放送連盟賞テレビエンターテインメント最優秀賞を受賞。若手の発掘や育成に力を注いでおり、太田プロダクション、東京アナウンス学院などで講師を、日本大学藝術学部、日本大学文理学部、専修大学文学部の非常勤講師を務めている。男鹿市観光大使、秋田県PRメディアプロデューサー、秋田ノーザンハピネッツ親善大使、秋田市観光PRアドバイザーに就任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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