高田 敏子
(たかだ としこ)
『新刊展望』1964年2月1日号より
誕生 (1914-09-16) 1914年9月16日
日本 東京市日本橋区[1]
死没 (1989-05-28) 1989年5月28日(74歳没)
職業詩人
言語日本語
国籍 日本
最終学歴跡見女学校(現跡見学園女子大学・跡見学園中学校・高等学校)卒業
ジャンル詩
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高田 敏子(たかだ としこ、1914年9月16日 - 1989年5月28日)は、日本の詩人。
女学校時代から詩作を始める。結婚後は主婦・母親の視点で日常生活の哀歓を平明な言葉でうたい、好評を得た。詩集に『月曜日の詩集』(1962年)、『藤』(1967年)、『夢の手』(1985年)などがある。 東京市日本橋区の陶器卸業の次女として誕生する。跡見女学校(現跡見学園女子大学・跡見学園中学校・高等学校)卒業。学校卒業後に兄の友人と結婚。 1949年、「若草」に投稿した「夜のフラスコの底に」で注目を浴びる。 1960年より1963年までは朝日新聞に詩を連載する(毎週月曜日)。その功績により、第1回武内俊子賞を受賞。 詩の連載が好評を博し、1966年より「野火」を主宰(1989年の敏子の死まで続いた)。 初期はモダニズムを追求していたが、『月曜日の詩集』以降は女性の日常生活に根ざした平易な作風に変化。 「主婦詩人」「お母さん詩人」などの異名で呼ばれ、大中恩や中田喜直などの作曲家の手で歌曲や合唱曲の詞としても大いに用いられた。 三善晃の混声合唱組曲「嫁ぐ娘に」「五つの童画」、南弘明の混声合唱組曲「飛翔」はいずれも芸術祭奨励賞を受けた。 没後に花神社から『高田敏子全詩集』が出版された。
人物・来歴
著作
詩集
『雪花石膏(アラバスター)』(日本未来派発行所、1954)
『人体聖堂』(日本未来派の会、1955)
『月曜日の詩集』(河出書房新社、1962) 日本図書センター, 2004.3
『月曜日の詩集 続』(河出書房新社、1963)
『にちよう日――母と子の詩集』(あすなろ書房、1966)
『藤 詩集』(昭森社、1967)
『愛のバラード』(山梨シルクセンター出版部、1969)
『砂漠のロバ』(山梨シルクセンター出版部、1971)
『あなたに 詩集』(サンリオ出版、1974)
『月曜日の詩集』(サンリオ・ギフト文庫) 絵:朝倉摂. サンリオ出版, 1974
『可愛い仲間たち』(ギフトブックライブラリー) 写真:西川治. サンリオ出版, 1975
『むらさきの花』(花神社、1976)
『季節の詩 季節の花 花のある朝』白籏史朗 写真(山と渓谷社、1977)
『枯れ葉と星』若山憲絵(教育出版センター、1978)
『詩とあそびましょう 1 (さくらんぼ・みかん)』花形恵子作,渡辺洋二
『詩とあそびましょう 2 (ちょうちょ・うさぎ) 』花形恵子 作, 渡辺洋二 絵. あすなろ書房, 1978.7
『高田敏子詩集 1946?1978』花神社, 1978.7
『薔薇の木: 高田敏子詩集』(花神社、1980)
『野草の素顔』会田民雄