高田健二
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たかだ けんじ
高田 健二
教育早稲田大学人間科学部卒
職業独立行政法人国際協力機構(JICA)
著名な実績オリパラ東京2020大会ホストタウンリーダー表彰受賞
肩書き島根県立大学客員教授、海士町グローカル・フロンティア大使
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高田 健二(たかだ けんじ )[1]は、独立行政法人国際協力機構(JICA)に所属している社会活動家

高田健二といえば、手品師(マジシャン)としても知られており、きっかけは2006年に偶然訪問した神戸にあったマジック・バー夢空間で、スティングやKOJI、MASATO、キートン、 ⇒紀良京佑らに師事され、クロースアップマジックを得意とする。
来歴

静岡県立浜松西高等学校・中等部早稲田大学人間科学部卒業後、独立行政法人国際協力機構(以下「JICA」と表記)に就職し、現在もJICAに所属している。

関西学院大学非常勤講師(2005年?2007年)、神戸大学非常勤講師(2005年?2007年)、島根県立大学客員研究員(2019年?2021年)、島根県立大学客員教授(2021年?)、群馬県立女子大学非常勤講師(2023年?)なども歴任。東洋大学では、井上円了リーダー哲学塾[2]で2018年、2019年、2021年に講師をして講義を実施し、2022年にはSDGsについての講義を実施した。東京大学社会科学研究所玄田有史らと「小ネタが紡ぐ地域の未来」をまとめる取り組みにも寄与した。2019年、2020年には、一般財団法人地域活性化センターが主催する「地方創生実践塾」で講師も務めた。

多岐にわたる分野(国際協力、オリパラ・ホストタウン事業、NGO-ODA連携、地方自治、地方創生、コミュニティスクール、食育、SDGs、手品、越境など)で講演や講義を行っており、高田の講義・講演は参加者から高い評価を得ている。

2021年5月には、地方創生のトップランナーとして有名な海士町により、「海士町グローカル・フロンティア大使」に任命されている。この役職は、JICAと海士町が合意して高田のために新設された前例のないポジションであり、JICA出向終了後も海士町から継続して同役職に大江和彦町長名で任命されている。

2013年3月、高田がヨルダン王国に駐在していたタイミングで、サッカーワールドカップ・ブラジル大会アジア最終予選がヨルダン国で開催され、サッカー日本代表がヨルダンと試合を行った。高田は日本サッカー協会と連携して、現地にいる ⇒日本人の子女たち約30名とサッカー日本代表選手たちとの交流企画を現地でリーダーとして試合前日に企画運営をし、サッカー日本代表HP(サムライブルー)にも、交流の様子が掲載されている。

海外勤務をしたフィリピン、エジプトでは、それぞれの時期に駐在していた同窓生たちと力を合わせてマニラ稲門会、カイロ稲門会の再活性化にも尽力した。
大学時代の取り組み(1991年4月?1996年3月)
Japan Emergency Team(1991年?1994年)

国内外の災害現場へのボランティア派遣及び活動をしているNGO(非政府機関)「Japan Emergency Team」[3]に参加し、中核的に取り組む。主な活動先は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド火災(1991年11月)、ロシア連邦独居老人支援(1992年2月)、カンボジア王国水害(1992年7月)、エジプトアラブ共和国カイロ地震(1992年11月)、北海道南西沖地震(1993年7月)、アメリカ合衆国ミシシッピ・ミズーリ川大洪水(1993年10月)などの際に、他のボランティアメンバーとともに被災地入りして、支援物資の仕分けや被災地域でのマンパワーとしてのボランティア活動を実施してきた。

高田が関わった当時は、この団体で活動していたのは大学生や若手社会人ばかりであった。その後各分野で頭角を現し、UNICEF職員の竹友有二、慶応義塾大学教授の金子郁容、ハイチ友の会の小澤幸子、社会情報大学院大学の坂本文武、ハーバード世界起業家世界大会に日本人で連続参加記録を持つ社会起業家の ⇒田辺大、マイプロジェクトの第一人者の井上英之、海外のデジタルトレンド調査の第一人者の市川裕康、JICA専門員でバルカン半島地域や選挙支援を専門とする辰巳知行、WFP世界食糧計画で活躍する野副美緒、他にも教育現場や企業で活躍する人たちも多く、小さな団体であったが逸材が揃っていた。
世界青年の船・日本青少年国際交流機構(IYEO)(1994年?2002年)

内閣府(当時は総務庁青少年対策本部)が実施する国際交流事業「第7回世界青年の船」(1995年1?3月)に、一般参加青年として、オーストラリア、フィジー、タヒチ、エクアドル、メキシコ、ハワイを経由した2か月間の国際交流プログラムに参加。

その後、政府の国際交流事業の事後活動組織である日本青少年国際交流機構(IYEO)の活動に従事し、故・ ⇒大橋玲子から指南を受けて国際交流活動に取り組んだ。1996年には皇太子ご臨席のもとで開催された「戦後50周年を記念する集い」に事務局スタッフとして参加し、約30カ国から参加した日本および海外からの参加青年代表スピーチ原稿のドラフト作成にも関わった。

世界青年の船事業をとおしてコーチングや人材育成でも高名な本間正人とも知り合い、その後、本間正人が小巻亜矢とともに取り組んでいる「笑顔のコーチング」(NPO法人ハロードリーム実行委員会主催)にも参加。笑顔のコーチングファシリテーターとしての活動もしている。

その後も各種国際交流プログラムで実行委員として取り組み、1999年から2002年までは、東京都IYEO会長に任命された。同役職は、高田が2002年にフィリピンに転勤になることを機に次世代に継承した。
JICAでの取り組み(1996年4月?現在)

大学卒業後、1996年からJICAに勤務し、JICA本部(青年海外協力隊事務局、人事部、アジア第一部、経済開発部、名称は所属時点のもの)勤務のほか、JICA兵庫(現JICA関西)、JICA東京(埼玉県担当、行財政関係研修担当)、海士町出向、フィリピンヨルダンエジプトでも勤務していた。

特に、電力分野、自治体連携、文化財保護分野などでは、JICA内外の関係者と協力して、以下のとおり大きな成果を出している。
電力エネルギー分野での功績

電力分野を担当していた時に、JICA内部向け報告書だけでなく、調査内容の要点をまとめた「ヨルダン電力概要
」という資料を作成するという新たな取り組みを行なった。

2010年から担当したトルコ国ピーク対応型電源最適化計画調査では、「揚水発電が再生可能エネルギーの調整弁としての機能を果たす」という報告書取りまとめに尽力し、同結果は経産省でも高い評価を得て、その時点でJICA全体で過去5年間つけられたことがないJICA最高評価である「E評価」を同調査を実施したコンサルタントチームに対してJICAが出すという成果につなげた。その結果について「最高評価に値する調査に仕立てた担当の高田の貢献が大きかった」と当時のコンサルタントチームリーダーは語っている。

自治体JICA連携での功績

自治体連携では埼玉県、兵庫県、島根県と組んだ取り組みを行い、特に2016年度の埼玉県とJICA連携での高田の貢献は大きいとの評価を得ている。具体的には、@初めて埼玉県庁の全ての国際事業部局を集めてJICAとの勉強会を実現、A埼玉県庁の幹部向けの勉強会で高田が講師としてJICAとして初めて講演、B自治体首長(埼玉県知事)とJICA国内機関長(JICA東京所長)が全国でも初めて一緒に海外出張することなど、埼玉県庁職員と連携して前例のない展開に繋げた。また、ミニトマトを開発したトキタ種苗
やCOEDOビールでも知られている協同商事、金属加工技術で屈指の技術力を持つ ⇒二ノ宮製作所などとも良好な関係を構築し、人事異動後も継続的に公私両面で親しい関係性である。

そうした自治体との良好な関係づくりや実績から、JICAで初めて基礎自治体に出向する職員に高田が選ばれた。出向後には島根県から観光PR大使である「遣島使」にJICA関係者として初めて任命されている。その後、他のJICA出向者たちは遣島使に任命されていないことから、自治体側からの高田の評価は極めて高いことがうかがえる。

2023年4月からは、群馬県甘楽町役場に出向。JICAで2回目の自治体出向は前例がなく、出向自治体への魅力化やJICA連携について高田が中核的に取り組む期待をJICAからも得ている。

保健医療分野での功績

ベトナム国担当としてJICA本部に配属されていた時代に、それまでのJICAによる医療分野の国際協力事業の柱である首都圏の大病院建築・拡張だけでは、首都圏の大病院が混雑する状況への対処療法にしかならないことを改善すべく、当時JICAベトナム事務所の戸川正人次長とともに奮闘した。そこで首都圏の大病院でしか治療できない患者のみ大病院が対応するように、地域の診療所や地元病院などの診断機能を強化させる「保健医療リファラルシステム」をJICAとして初めてベトナム国にて成立させて、大病院の混雑緩和のみならず、医療分野のシステム構築を実現させた。その後、JICAによる医療分野の支援の潮流のひとつとしてリファラルシステム導入が基本形となったが、その枠組みづくりに高田は大きく関わった。

文化財保護分野での功績

文化財保護分野では、
大エジプト博物館を担当していた時期に、在エジプト日本国大使館、エジプト考古省、日本人保存修復家たちと働きかけて、エジプトの文化財を修復はエジプト人に限定されていた法令の特例が認められ、日本人がエジプトの文化財を直接保存修復するという異例の取り組みを実現させた。さらに、日本のエジプト文化財支援の取り組みが第27回読売国際賞受賞することにも寄与した。

民族衣装でのJICA本部勤務

2007年?2011年には、JICA本部で毎日異なる海外の民族衣装を着て勤務をしたことでも知られている。

高田が着用していたのは、日本の和服や沖縄かりゆしはもちろん、海外では正装である民族衣装ばかりで、フィリピンのバロンタガログ、インドネシアのバティック、ベトナムの男性版アオザイ、アラブのガンドゥーラ(白装束)、太洋州のアロハ、イエメンのジャンビアという刀付の衣装、ブータンのゴ、パキスタンのシャルカミ、モロッコのジュラバなど、実に多彩な民族衣装を着こなしていた。特に来日する海外の人たちに合わせて、その国の民族衣装を着て対応する高田のおもてなしは来日した外国人から絶賛されていた。

JICAでは東日本大震災後に「民族衣装でクールビズ」という取り組みがなされており、当時は賛否両論ではあった高田の取り組みが「時代を先駆けていた」と解釈されることもあった。

食育にかかるJICAの取り組みの学会での発表

2022年6月には、第10回食育学会学術大会
において、JICAを代表して同学会シンポジウムでの発表も行った。JICAが取り組む栄養不良の二重負荷(栄養不足と栄養過多が併存している状況)への全世界での取り組みについて説明した内容は参加者からも好評であった。

高田は島根県立大学客員教授という立場から、島根県立浜田高校、島根県立松江南高校での講義[4]を実施してきた実績から、同学会に島根県立高校生たちが発表者として参加することにも島根県庁とともに尽力して実現させた。同学会での高校生による発表は、山陰中央新報の記事食問題にアイデアあり 学術大会で成果発表へ 県内7高校の生徒20人にも取り上げられた、同学会での高校生たちによる発表やポスター発表は同学会では初めてのことであったが、多くの学会参加者たちから素晴らしいとの高い評価を受けていた。


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