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出生名高田 みづえ(たかだ みづえ)[1]
結婚後の本名:日高 みづえ(ひだか みづえ)[2][3]
生誕 (1960-06-23) 1960年6月23日(63歳)
出身地 日本・鹿児島県揖宿郡頴娃町[3](現・南九州市[2])
職業元歌手・タレント
活動期間1977年 - 1985年
レーベルテイチク/ユニオンレコード
事務所バーニングプロダクション
高田 みづえ(たかだ みづえ、1960年6月23日 - )は、元相撲部屋の女将で[3]、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町[3](現・南九州市[2])出身。
夫は元大関の大相撲力士で元親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信[4]。長女はタレントのアイリ[5]。本名は日高みづえ[2][3](旧姓:高田[1])。
2017年2月20日、出生から中学卒業までを過ごした南九州市の観光大使に就任した[1][2][3]。 1960年(昭和35年)6月23日、鹿児島県指宿郡頴娃町別府にて生まれる。 1976年、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンとなる。 1977年3月25日、シングル『硝子坂』でアイドル歌手としてデビュー。キャッチフレーズは「超えてる16才」[6]。当時は16歳であった。所属事務所はバーニングプロダクション、レコード会社はテイチク/ユニオンレコード。 同期デビューには清水健太郎、狩人、太川陽介、榊原郁恵、清水由貴子、荒木由美子、香坂みゆきらがいる。特に榊原郁恵、清水由貴子とは仲が良く、当時「フレッシュ3人娘」とも呼ばれていた。 身長153.8cmと小柄ながら、芯の強さを感じさせるよく通る声と、アイドル離れした高い歌唱力と表現力で、デビュー早々「硝子坂」「だけど…」「ビードロ恋細工」と3曲連続でヒット曲を飛ばし、同年の新人賞を多数受賞した。また同年末の『第28回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし「硝子坂」を歌唱した。 デビュー年に受賞した新人賞は以下のとおり。いずれも1977年、括弧内は放送日。 1978年3月27日に大阪フェスティバルホール、3月30日に東京渋谷公会堂でファーストコンサートを開催。大阪公演は当初3月29日の予定だったが、ピンクレディーの大阪追加公演に会場を譲る形で繰り上げられたため、大阪公演後に京都へ移動して生出演するはずだったKBS京都のラジオ番組も3月27日に録音して29日に放送された。
来歴・人物
デビューまで
新人賞受賞歴
第6回東京音楽祭シルバーカナリー賞 優秀新人賞 - 1977年6月19日受賞[7]
第3回日本テレビ音楽祭 優秀新人賞(日本テレビ、8月25日)[7]
第7回銀座音楽祭 グランプリ(ニッポン放送、10月6日)[7]
第10回新宿音楽祭 金賞(文化放送、10月12日)[7]
第4回横浜音楽祭 特別新人賞(ラジオ関東、10月26日)
第8回日本歌謡大賞 放送音楽新人賞(日本テレビ、11月17日)
第10回全日本有線放送大賞 新人賞(讀賣テレビ放送、12月8日)[7]
第10回日本有線大賞 新人賞(TBSテレビ、12月11日)[7]
'77FNS歌謡祭 最優秀新人賞(フジテレビ、12月20日)
'77あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 優秀新人賞(テレビ朝日、12月28日)[7]
第19回日本レコード大賞 新人賞(TBSテレビ、12月31日)
アイドル歌手時代
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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