この項目では、総合格闘家について説明しています。プロデューサーについては「高瀬大樹 (プロデューサー)」をご覧ください。
高瀬 大樹
生年月日 (1978-03-20) 1978年3月20日(46歳)
通称寝技アーティスト
影のグラップリング・キング
国籍 日本
身長180 cm (5 ft 11 in)
体重84 kg (185 lb)
階級ミドル級、ウェルター級
スタイル総合格闘技
チーム和術慧舟會東京本部
→タイガーズ・デン
→フリーランス
→アイアムアイ
→ING
総合格闘技記録
試合数29
勝利12
ノックアウト1
タップアウト5
判定6
敗戦15
ノックアウト7
タップアウト1
判定6
失格1
引き分け2
キックボクシング記録
試合数11
勝利6
敗戦5
プロボクシング記録
試合数1
敗戦1
その他
⇒総合格闘技記録 - SHERDOG
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チャンネル
イコライザー大樹
高瀬 大樹(たかせ だいじゅ、1978年3月20日 - )は、日本の男性総合格闘家、キックボクサー。
「寝技アーティスト」、「影のグラップリング・キング」と呼ばれ、2003年にはアンデウソン・シウバから三角絞めで一本勝ちした。
来歴[ソースを編集]
1998年6月24日、プロ総合格闘技デビュー戦となるPRIDE.3で、身長204cm、体重310kgの巨漢エマニュエル・ヤーブローを殴り続け、ギブアップによる勝利を挙げた。
1999年7月16日、UFC初出場となったUFC 21でジェレミー・ホーンと対戦し、TKO負け。この試合は川口健次の欠場に伴う出場となった。
1999年8月1日、PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOURで行われたネオブラッド・トーナメントの1回戦で美濃輪育久と対戦し、三角絞めで一本負け。
1999年11月14日、UFC 23で行われたUFC-Jミドル級トーナメントの1回戦で山本喧一と対戦し、判定負け。
2000年6月26日、PANCRASE 2000 TRANS TOURで行われたミドル級ランキングトーナメントの1回戦でネイサン・マーコートと対戦し、KO負け。12月16日、UFC 29でファビアノ・イハと対戦し、TKO負け。
2002年にPRIDEへの登竜門的大会「THE BEST」でジョイユ・デ・オリベイラに判定勝ち、ニーノ・シェンブリに判定負けで1勝1敗の戦績を残した。
その後、所属していた和術慧舟會東京本部を離れ、J-ROCKと契約した。吉田道場などで練習を行っていたが、所属はフリーとなっていた。
2003年6月8日、PRIDE.26でアンデウソン・シウバと対戦。下馬評を覆し三角絞めで一本勝ち。
しかしその後PRIDE 武士道でホドリゴ・グレイシーに、PRIDE SPECIAL 男祭り 2003で桜井"マッハ"速人に連敗を喫した。
2004年2月15日、PRIDE 武士道 -其の弐-でクリス・ブレナンに判定勝ち。5月23日、PRIDE 武士道 -其の参-ではカーロス・ニュートンと好勝負を展開し、判定勝ち。
2004年10月3日、CLUB DEEP 長南祭りの最終試合で長南亮とエキシビションマッチを行った。
2005年4月3日、PRIDE 武士道 -其の六-でダニエル・アカーシオにTKO負けを喫した。
2006年3月18日、オーストラリアで行われたX-plosion 13でヘクター・ロンバードを相手に約1年ぶりの復帰戦を行うが故障を押して出場したこともあり、1RでKO負けを喫した。
2006年5月26日、ロサンゼルスで開催されたグラップリングの大会であるブドーチャレンジに出場。87kg級1回戦でカール・アモーゾに三角絞めで一本勝ちするも、背中を負傷したためホナウド・ジャカレイとの決勝を辞退した。
2006年11月22日、J-NETWORKで自身のキャリア初となるキックボクシングの試合を行い、野井翔健に判定勝ち。
2007年3月21日、後楽園ホールにて行われたプロレス興行「UWAI STATION 4」にてプロレスデビュー。メインイベントで、当時三冠ヘビー級王者の鈴木みのると一騎討ちを行い、飛びつき腕ひしぎ十字固めなどを仕掛けていったものの、11分1秒の試合時間で、鈴木のゴッチ式パイルドライバーに敗れた。
2008年3月4日、クラブファイトのグラップリングルールの賞金マッチで原井徹と対戦し、1R1分37秒変形三角絞めで一本勝ち。