高源院_(世田谷区)
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高源院

高源院(2020年)
所在地東京都世田谷区北烏山4丁目30番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分49.4秒 東経139度35分40.6秒 / 北緯35.680389度 東経139.594611度 / 35.680389; 139.594611座標: 北緯35度40分49.4秒 東経139度35分40.6秒 / 北緯35.680389度 東経139.594611度 / 35.680389; 139.594611
山号瑞泉山[注釈 1][4]
宗派臨済宗大徳寺派[4]
本尊釈迦如来像[1][5]
創建年1703年(元禄16年)[4][6]
開山怡渓宗悦(大徳寺253世)[4]
開基有馬頼元[4]
正式名瑞泉山 高源院[注釈 1][4]
法人番号9010905000184
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烏山の鴨池

高源院(こうげんいん)は、東京都世田谷区北烏山にある寺院。臨済宗大徳寺派に属し、本山大徳寺山号は「瑞泉山[注釈 1]」旧久留米藩菩提寺。板垣退助墓所の菩提寺[7]

創建は1703年(元禄16年)で、旧地は品川であった。1893年(明治26年)を境に無住となり、関東大震災の被害にも遭ったため復興を図って1939年(昭和14年)に現在の地に移転してきた[注釈 2][4]。高源院は「烏山寺町」を構成する26の寺院の1つで、敷地内にある泉水(弁天池)は「烏山の鴨池」として「せたがや百景」に指定されている[8][10][11]。1985年(昭和60年)3月1日には「烏山弁天池特別保護区」(2,322平方メートル)に指定された[12][13][14]
歴史

京王線千歳烏山駅から、甲州街道を渡って寺院通り(約600メートルの長さがある道路で、烏山寺町のメインストリートにあたる)のある北方向を目指して歩くと、約15分で烏山寺町に入る[8]中央自動車道の高架をくぐる手前にある妙高寺などを過ぎて寺院通りをさらに北方向へ歩くと、最後に出会う寺院が高源院である[8]

臨済宗大徳寺派に属し、本山は大徳寺、山号を「瑞泉山」という[注釈 1][4][9]。創建は1703年(元禄16年)で、開山は大徳寺第253世怡渓宗悦(1644年(正保元年) - 1714年(正徳4年))、開基は筑後久留米藩の第4代藩主有馬頼元(1654年(承応3年) - 1705年(宝永2年))である[4][9]。頼元は文武両道に秀でた人物で和歌や絵画の心得もあり、久留米藩を38年にわたって治めていた[4][9]。晩年になった頼元は、有馬家の菩提寺である祥雲寺輪番を務めていた怡渓宗悦の高徳に惹かれた[4][9]

怡渓宗悦は浅井長政の後裔であり、仏道を修める傍ら茶道片桐石州に学び、のちに石州流怡渓派の創始者となった人物であった[4][15]。怡渓宗悦は1693年(元禄6年)に愚渓に嗣法して、大徳寺253世の法主となった[4][9]。退隠後に江戸に戻って頼元の帰依を受け、北品川に一寺を建立した[4][9]

当初は品川の東海寺塔頭として建立されたことが、『新編武蔵風土記稿』に見える[16][17]。前掲書の巻之五十六、荏原郡之十八、北品川宿の項に「額門ヲ入テ右ニアリ。有馬氏起立ス。開基ハ養福院高源宗隆大姉。開山ハ法忍大定禅師[注釈 3]ナリ」と記述されている[16][17][18]。山号は頼元夫人の法号「養福院高源宗隆大姉」から、「高源院」と称したと伝わる[2]

旧地の境内には、一隅に「宝生弁才天」と称する木像を祀った鎮守堂があった[4][19][9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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