高橋貞二
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たかはし ていじ
高橋 貞二
1955年撮影
本名高橋 貞次
生年月日 (1926-10-20) 1926年10月20日
没年月日 (1959-11-03) 1959年11月3日(33歳没)
出生地 日本東京府南葛飾郡奥戸村大字曲金(現・東京都葛飾区高砂
死没地 日本神奈川県横浜市西区
職業俳優
ジャンル映画
活動期間1946年 - 1959年
主な作品
映画
日本の悲劇』(1953年 木下惠介
早春』(1956年 小津安二郎
彼岸花』(1958年 小津安二郎)
楢山節考』(1958年 木下惠介)
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高橋 貞二(右)、左は日守新一(1953年『新東京行進曲』(松竹))

高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1959年11月3日)は、日本の俳優。本名は高橋貞次。愛称は貞ちゃん。
来歴・人物

東京府南葛飾郡奥戸村大字曲金(現・東京都葛飾区高砂)出身[1]

日本映画学校卒業後、1945年松竹に入社。翌1946年、映画『物交交響楽』でデビュー。佐田啓二中井貴一の父)、鶴田浩二と共に「松竹大船三羽烏」と言われ[2]、松竹映画の主力男優の1人として多くの作品に出演した。

1959年2月に結婚[3]。同年11月3日神奈川県横浜市西区横浜駅[3]において、自ら飲酒運転するメルセデス・ベンツ300Sクーペのハンドル操作を誤り、横浜市電(系統・形式・車両番号など不詳)に激突して死亡。当日は友人の友人だった作家の黒岩松次郎(後の団鬼六)も、一緒に飲みに行こうと誘われていた。しかし団には、昼に指していた将棋の決着を付けるという先約があったため、高橋らを先に行かせ、結果として難を逃れた[3]

残された妻は1962年池袋のアパートでガス自殺[3]。墓は東京都港区の青山霊園にあり、夫婦で埋葬されている。
主な出演作品
映画

物交交響楽(1946年、
松竹

若き日の血は燃えて(1947年、松竹)

弥次喜多凸凹道中(1948年、松竹)

銀座新地図(1948年、松竹)

愛情十字路(1948年、松竹)

初夜ふたゝび(1949年、松竹)

愁海棠(1949年、松竹)

まぼろし夫人(1949年、松竹)

春雪(1950年、松竹)

童貞(1950年、松竹)

危険な年齢(1950年、松竹、DVD発売)

母(1950年、松竹)

大学の虎(1950年、松竹、DVD発売)

花のおもかげ(1950年、松竹)

三つの結婚(1950年、松竹)

情熱のルムバ(1950年、松竹、DVD発売)

帰郷(1950年、松竹)

美しい暦(1951年、松竹)

男の哀愁(1951年、松竹、DVD発売)

母恋草(1951年、松竹)

わが恋は花の如く(1951年、松竹)

大江戸五人男(1951年、松竹、DVD発売)

母化粧(1951年、松竹)

陽気な渡り鳥(1952年、松竹、DVD発売)

若人の誓い(1952年、松竹)

とんかつ大将(1952年、松竹、DVD発売)

風流活殺剣(1952年、松竹)

紅扇(1952年、松竹)

相惚れトコトン同志(1952年、松竹)

銀座巴里(1952年、松竹)

娘はかく抗議する(1952年、松竹)

湯の町しぐれ(1952年、松竹)

彼を殺すな(1952年、松竹)

お嬢さん社長と丁稚課長(1952年、松竹)

明日は月給日(1952年、松竹)

夏子の冒険(1953年、松竹) - 初のカラー映画出演

春の鼓笛(1953年、松竹)

まごころ(1953年、松竹)

次男坊(1953年、松竹)

新東京行進曲(1953年、松竹)

愚弟賢兄(1953年、松竹)

日本の悲劇木下惠介監督、1953年、松竹、DVD発売)


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