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たかはし あきら
高橋 章
生年月日 (1938-02-11) 1938年2月11日
没年月日 (2023-02-10) 2023年2月10日(84歳没)
出生地 満洲国
死没地 日本
国籍 日本
職業美術監督
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高橋章(たかはし あきら、1938年2月11日[1][2][3] - 2023年2月10日)は、日本の美術造形家、映画美術監督。 1938年(昭和13年)2月11日、満洲国(遼寧省)に生まれる[4][3]。父親は日本郵船の大阪支店長を務めており、満州は父親の赴任先であった[2]。終戦後は姫路で暮らした[2]。もともとは絵描き志望だったという[1]。 1965年(昭和40年)、学生時代に大映初の怪獣映画『大怪獣ガメラ』(湯浅憲明監督)の特撮現場にアルバイトとして参加[1][2][3]。「操演スタッフ」としてミニチュアの操演や破壊の撮影に従事する。この『ガメラ』の美術スタッフには、八木正夫・三上陸男・村瀬継蔵・鈴木昶らがいた。同年、八木は三上や村瀬、鈴木らこの時集まったメンバーとともに、造形会社「エキス・プロダクション」[注釈 1]を創設。 1966年(昭和41年)、東宝の怪獣映画『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(福田純監督)に特撮美術スタッフとして参加[1][2]。東映で『黄金バット』(佐藤肇監督)に前澤範とともに参加するが、現場の方針が合わず、二人とも3日ほどで現場を離れる。 1967年(昭和42年)、松竹映画初の怪獣映画『宇宙大怪獣ギララ』(二本松嘉瑞監督)に特撮美術スタッフとして参加[1][2]。この他、アルバイトであちこちの映画の現場に関わる。 1969年(昭和44年)、東宝映画『緯度0大作戦』(本多猪四郎監督)で、エキスプロのスタッフや前澤範とともに怪獣「グリフォン」、「大ネズミ」を数体作った。NMCプロの特撮テレビ番組『魔神バンダー』(フジテレビ)では、前澤と二人で特撮の撮影助手を務めた。 1971年(昭和46年)、エキスプロが東映のテレビ番組『仮面ライダー』(毎日放送)の美術全般を担当することになるが、当初参加していた三上陸男が多忙であったため、クランクイン前に旧知の高橋と前澤に参入を呼び掛ける[1][4]。前澤のスケジュールが合わなかったため、高橋が三上の後任として参加することとなり、エキスプロの契約スタッフとなる[1][2][3]。そして、助手として八木功を呼びよせた[1]。 以後、東映生田スタジオを拠点に、敵組織「ショッカー」の怪人デザインや美術造形全般を手掛ける[1][2]。
来歴