高橋浩
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その他の「たかはしひろし」の同名の人物については「Wikipedia:索引 たかはし#たかはしひ」をご覧ください。

高橋 浩(たかはし ひろし、1943年4月29日 - )は、テレビ朝日元編成局編成部長、東映アニメーション元社長(2003年?2011年)。広島県出身[1][2][3]
人物

広島県福山市生まれ[1][2]。父親は日立製作所に勤務し[2]戦後東京中野で育ち[3]1950年水力発電所の多い富山県に転勤となり、小学校2年から高校卒業まで富山市で育つ[2]。映画好きだった父の影響で映画館に通い詰める[2]。当時の富山は映画の上映環境が良くなく、一人で金沢大阪まで汽車に乗って映画を観に行ったという[2]。小学校・中学校時代に好きだったのは『新諸国物語 笛吹童子』や『紅孔雀』といった東映時代劇だった[2]。時代劇がピークを過ぎると洋画ばかり観るようになった[2]

1967年上智大学文学部英文学科を卒業後[3]、映画とは関係なくジャーナリストへの憧れから[2]、株式会社日本教育テレビ(現在の株式会社テレビ朝日)に入社。調査局考査部考査課に配属される[2]英語が使えるという理由で、翌1968年から外画部に異動して[2]、『日曜洋画劇場』などにおける外国映画の購入を担当[4]。同番組の解説をしていた淀川長治から薫陶を受けた[4]1970年、二度目のヨーロッパ出張で、ソ連モスクワモスフィルムを訪ね、フィルムの買い付けを行った[4]。このうちの1本『Вий』を『土曜映画劇場』で放送する際、『妖婆 死棺の呪い』と高橋がタイトルを付けた[4]。同作はテレビ放送で話題を呼び、その後ビデオ発売されてタイトルも『妖婆 死棺の呪い』になった[4]。また『チキチキマシン猛レース』『幽霊城のドボチョン一家』など外国アニメも多数手掛けた[4]。当時アメリカで「Made for TV movies」と表現していたテレビ映画を「テレフィーチャー」と名付けた[5]

1971年アメリカの業界誌『バラエティ』の記事に小さく載った25歳の若者がMCAユニバーサル映画)で、自動車の追いかけっこをテレビ用映画で製作中という記事を読み、プリントを取り寄せ、自宅でプロジェクターに掛け一人で観た[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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