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出典検索?: "高橋昌也" 俳優
たかはし まさや
高橋 昌也
生年月日 (1930-03-16) 1930年3月16日
没年月日 (2014-01-16) 2014年1月16日(83歳没)
出生地 日本・東京市牛込区
(現・東京都新宿区)[1]
死没地 日本・山梨県
職業俳優・演出家
ジャンルテレビドラマ・映画・舞台
活動期間1954年 - 2014年
配偶者加藤治子(1958年 - 1973年)
藤井八千代(1974年 - 1999年)
一般女性(1999年 - 2014年)
主な作品
テレビドラマ
『赤い絆』
『不良少女とよばれて』
『年下の男』
受賞
日本映画批評家大賞
助演男優賞
2004年『透光の樹』
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高橋 昌也(たかはし まさや、1930年3月16日 - 2014年1月16日)は、日本の俳優・演出家。
『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業。1954年に劇団新人会設立に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加[注釈 1]。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。 1987年、円を退団して銀座セゾン劇場の芸術総監督に就任、1999年の閉館まで務めた。 1993年、末期の食道癌と診断され食道を全摘出する手術を受けたが回復。 1996年からは銀座セゾン劇場(後のル テアトル銀座 by PARCO)での黒柳徹子主演舞台・海外コメディシリーズの演出を飯沢匡に代わり手掛けた。俳優業は総監督就任に伴い休業していたが2000年以降再開した。 2014年1月16日午後5時55分、呼吸不全により死去。83歳没[2]。 テレビドラマでは一連の大映ドラマに常連出演していた。 前述の通り、黒柳主演の舞台の演出を数多く手掛ける等、足掛け60年近くの親交があり、それが縁で『徹子の部屋』にも度々出演しており、黒柳は高橋の死去に際し、人柄を偲んでコメントしている。
来歴・人物
結婚
1958年に女優の加藤治子と結婚するも1973年に離婚。
1974年に当時、赤坂及び軽井沢で著名だった鶏料理店「若松」のオーナー兼女将の藤井八千代と再婚、翌年45歳にして長女を授かるも1999年に離婚。
同年には長らく高橋のファンであった38歳年下の女性と再々婚した。
出演
テレビドラマ
東芝日曜劇場 / 白い闇(1959年8月、KR)
拐帯行(1959年10月、NTV)
女の四季 / 女神(1960年、NET)
ナショナル ゴールデン・アワー / 松本清張シリーズ・黒い断層「反射」(1961年、TBS)
女が階段を上る時(1961年、CX)
虹の設計(1964年 - 1966年、NHK)
ザ・ガードマン(TBS / 大映テレビ室)
第59話「人喰い鮫」(1966年)
第68話「赤い関係」(1966年)
第87話「檻の中の女」(1966年)
第144話「夜と昼の顔を持つ男」(1968年)
第149話「雪女」(1968年)
第194話「死刑執行人の歌が聞こえる」(1968年)
第215話「日本縦断・追跡飛行」(1969年)
第295話「女の出世は結婚サ!」(1970年)
第314話「女二人ヨーロッパ珍道中」(1971年)
第333話「フランスで死んだ女」(1971年)
眠狂四郎 第23話「三花無情」(1967年、CX)
キイハンター(TBS / 東映)
第10話「雲の上の死刑台」(1968年)
第103話「ダイヤルMに呼ばれた男」(1970年)
第133話「私の首を返して頂だい」(1970年)
第189話「殺されに来た金色の眼の女」(1971年)
第229話「SOSよろめき宝石泥棒」(1972年) - 本城
大河ドラマ(NHK)
竜馬がゆく(1968年) - 桂小五郎
天と地と(1969年) - 飯富兵部
樅ノ木は残った(1970年) - 茂庭周防
風と雲と虹と(1976年) - 菅原景行
草燃える(1979年) - 九条兼実
山河燃ゆ(1984年) - 昭和天皇 役(クレジットなし)
裸の町(1968年 - 1969年、NET / 東映) - 早坂
吉田松陰(1969年 - 1970年、KTV) - 長井雅楽
ゴールドアイ 第17話「羽田発福岡行101便」(1970年、NTV / 東映)
徳川おんな絵巻 第1話「尾張公の遊女妻」・第2話「女の生地獄」(1970年、KTV / 東映) - 徳川吉宗