高橋広樹
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

作曲家の「高橋宏樹」、歌手の「高橋洋樹」、あるいは映像ディレクターの「高橋弘樹」とは別人です。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。

たかはし ひろき
高橋 広樹
プロフィール
性別男性
出身地 日本東京都足立区[1]
生年月日 (1974-09-07) 1974年9月7日(49歳)
血液型O型[1]
職業声優俳優歌手
事務所マック・ミック[1]
配偶者相橋愛子
公式サイト高橋広樹|マックミック
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重179[注 1] cm / 74 kg
スリーサイズ100 - 82 - 96 cm

声優活動
活動期間1994年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
デビュー作マクロス7[2][3]
俳優活動
活動期間1994年 -
ジャンルテレビドラマ舞台
音楽活動
活動期間2003年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルFEEL MEE
共同作業者謎の新ユニットSTA☆MEN(2002年 - 2013年)
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

高橋 広樹(たかはし ひろき、1974年9月7日[1] - )は、日本声優俳優歌手マック・ミック所属[1]。既婚。
来歴
デビュー前

子供の頃の夢は当時は新日本プロレスがゴールデンタイムで生放送されていたこともあり、「プロレスラーになること」であった[4]。特に佐山聡のファンだったという[5]。プロレス道場を探していたが、近所になかったため空手道場に通っていた[6]。中学時代に「何か格闘技をやりたい」と思い、柔道部に所属していた[4]

高校に進学後もレスリングをしたかったが、レスリング部のある高校に進学できず、スタン・ハンセンがアメフト出身だったこともあり、アメフトに近かったラグビーを始める[4]。当時はテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』も流行しており、「ラリアットも鍛えられそうだし、タックルもできるし……」と思っていたという[4]。しかし、格闘技に携わる機会やスポーツで怪我していたなどにより、その夢が実現不可能だと気づいてからもショービジネスの世界への憧れは捨てきれないでいたが、高校卒業後の進路に迷った際に雑誌の記事を見て、憧れていたプロレスラーは、人前でパフォーマンスして人々を熱狂させるエンターテイナーだと思っていたため、「声優、俳優といったエンターテイナーに向いてないだろうか」と気になり、「どんな世界なのか、ちょっと見てみよう」と声優・タレントの養成所(CHK声優センター[7])に申し込む[4]。職業としての声優は知っており、「お芝居のトレーニングをするんだな」と思って通い始めていたが、レッスンを受けていくうちに、芝居をすることの面白さに引き込まれたという[4]。高校卒業後は専門学校(東京アナウンス学院放送声優科[8])へ進学した[4]
デビュー後

その専門学校で2年間勉強していたが、最初に通っていた養成所も継続して通っていた[2]。19歳の夏にその養成所の人物から「アニメのオーディションに行ってみませんか?」と声がかかって、そのオーディションで、一緒に受けていた女性が『美女と野獣』のセリフをすることになり、スタッフが「野獣役をやる人、いない?」と言ったため、「僕、やります」と手を挙げてしてもらったという[2]

結局そのオーディションでは落選したが、別の役でレギュラー出演させてもらった1994年に『マクロス7』の金龍役でデビュー[2][3]

声優デビュー当初から舞台役者になろうと思っていた時期もあり、養成所でアフレコのレッスンを全くしておらず、養成所にもアフレコ設備が整っておらず、ほぼぶっつけ本番のような状態でアフレコスタジオに行っていた[2]

最初の頃は何もできず、緊張しており、オーディションの時の「野獣の声がよかったんだろうな」というのはわかっていたが、緊張で声がうわずり、低い声が出なかった[2]

絵の雰囲気と全然違う声になり、ドキドキしていることから早口になって口の動きとも合わずNG食らって何度もやり直し、やればやるほどグズグズになっていくという悪循環で、結局そのキャラクターは、頑張って低い声にしようとしてもできず、ダミ声みたいな感じになってしまった[2]

心を込めて演技をしても、監督から「キャラクターが違う」と言われ、そんな感じでスタジオ内の空気はどんどん重くなった[6]。1回目の収録はボロボロで、泣きながら帰ったという[6]

その頃に「お前は芝居が下手だな」と言ってくれた先輩がおり、その先輩とは2016年時点でも仲が良く、その時は「お前、本当に下手だな。辞めちまえ」と言われていたが、言ってくれるのは、愛があるとことだった[2]。怒られながらも「お前は下手なんだから、もっとこうしたほうがいいぞ」、「もっとゆっくりしゃべれ」、「もっと声を出せ」のようなアドバイスをくれた[2]

そういうことはその場では気づけず、愛があるとも感じなく、当時のアニメは1年間あったため、何度も現場に行くうちに徐々に愛を感じるようになり、先輩と一緒に食事に行ったり、飲みに行ったりさせてくれた[2]

当時の男性声優は皆怖く特に10年以上のキャリアのある人物は、「怖い」と思い、「至極当然だ」、「怒られていたのは叱咤激励であり、いい作品を作るための当然の作業だったんだな」と思ったという[2]

オフィスCHKトリトリオフィス[9]フリー[10]ビッグショット[11]クオラスなどを経て、現在マック・ミック所属。7人組の男性声優ユニット「謎の新ユニットSTA☆MEN」のメンバーを務める。
特色

2000年代以降は洋画吹き替えへの出演が多くなり、『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』(劇場版&DVD版)、『トップガン』、『ギャング・オブ・ニューヨーク』、『バットマン ビギンズ』(3作ともテレビ版)とヒット作に立て続けに主役の声を当てている。また韓国版『花より男子?Boys Over Flowers』の道明寺他、韓流ドラマの吹き替えも多い。俳優ではジェイク・ジレンホールマット・ボマーイ・ミンホなどを担当している。

ギタリスト佐藤晃と「平成ギター兄弟(仮)」というユニットを組んでアコースティックライブ活動をしている。
人物.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "高橋広樹" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2015年7月)

劇団に所属はしていないが芝居好きなため、舞台には積極的に立っている。特技は日本舞踊だったが、を故障して断念した。

自身の声優デビュー15周年記念イベントのパンフレットでは、鈴村を初めとした「STA☆MEN」のメンバー以外に、甲斐田もメッセージを寄せている。

デビュー作の『マクロス7』が終えた後、声優としての仕事は全然なく、たまに『マクロス7』のディレクターに呼んでもらっていたくらいだった[2]。アルバイトをしながら舞台に出演する生活を送っており、たまに声の仕事をさせてくれるという感じだった[2][6]

それでも少しずつ制作会社の人物との縁が繋がってオーディションを受けて、『HUNTER×HUNTER』に出演[6]。『HUNTER×HUNTER』が放送開始してからしばらく経った時に、先輩から「この仕事に命をかけるという覚悟が生まれないから、バイトなんてやめちまえ」と言われた[6]。「でも仕事がないときもあるし、まだ不安なんです」と言っていたところ、「それがダメなんだ、覚悟を決めろ」とその言葉で25、26歳の時、仕事を役者1本に絞ろうと覚悟を決めた[6]

その人物は『マクロス7』の時にものすごくたくさん怒った人物であり、たまに会うと叱咤激励をしてくれていた[6]。その先輩の言葉がなかったら、どこで覚悟をしたかわからないという[6]

ターニングポイントになった作品は『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』でそれ以前にも、色々レギュラー番組はあったが、役者1本で食べていけるほどの稼ぎはなかったが、制作会社の人物に呼んでくれたことがきっかけで、『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に出演[2]。これが1年以上のレギュラーになり、この作品に出演させてくれたことでファンを感じ始めた[2]

『HUNTER×HUNTER』に出演した時も確実に認知度が上がったのを実感し、『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』、『HUNTER×HUNTER』、『テニスの王子様』が、20代の高橋の声優人生においてすごく大きな意味を占めており、その最初が『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』なのかなという気がしているという[2]

それまでは、「ファンに喜んでもらえるのがエンターテイナーだ」ということを考えておらず、気持ちが自分に向いており、「自分がどうやったらうまくできるだろう」とそんなことばかり考えており、演劇をしている時も、客に来てくれて喜んでもらいたいという気持ちはあったが、「自分がどう芝居をするか」という自己顕示欲のほうが強かった[2]。その時、あるプロデューサーから「それじゃ、観てくれている人は楽しくないよ」と言われて、「それはそうだよな」と思った[2]

『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』に出演後、観てくれている人物のことを考えられるようになり、「このセリフはもっと熱く言ったほうが喜ばれるよね」のような言い方をよくされたのも『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』だった[2]。この作品を経験し、かつて「観客を熱狂させたい」とプロレスラーに憧れていた頃の高橋と「繋がっていたのかな」と語っている[2]

『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』以降は、アルバイトをしなくても食べていけるようになったが、数年間は、アルバイトか演劇の日々だった[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:306 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef