高橋克也_(オウム真理教)
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オウム真理教徒高橋 克也
誕生 (1958-04-26)
1958年4月26日(66歳)
神奈川県横浜市
ホーリーネームスマンガラ
ステージ師長補
教団での役職諜報省
入信1987年
関係した事件公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
地下鉄サリン事件
東京都庁小包爆弾事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
判決無期懲役(上告棄却)
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高橋 克也(たかはし かつや、1958年4月26日 - )は、オウム真理教の元信徒。神奈川県出身。ホーリーネームはスマンガラで、教団が省庁制を採用した後は「諜報省」に所属した。オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。同姓の高橋昌也とは縁戚関係はない。
人物
幼少期から阿含宗入信まで

サラリーマンの父とパートタイマーの母の元、1958年、横浜市港北区に生まれる[1][2][3]。4歳違いの兄がいる。幼少期より両親が長男である兄を自分より大事にしているのではという劣等感を持って育つ。兄は小学校から高校まで進学校に進み、国立大学に進学したが、高橋は特に将来の夢が無く、次男であることから大学進学も諦める。 1979年、横浜市の高等専門学校を卒業後(1979年神奈川県に高等専門学校は存在しない)、自宅近くの電気関係の会社に就職するが人間関係がうまくいかず退職。大学出と差別されている、兄や両親のせいで大学にいけなかったという思いに悩まされ精神世界へ救いを求め阿含宗に入信し、瞑想とヨーガの修行を始めるが、ここでもうまくいかなかった。阿含宗には具体的な指導理論はなく指導者もいないと感じ、道場の世俗的な雰囲気にも馴染めなかった[4][3]
オウム真理教に入信

そんな時に麻原彰晃の著作『超能力「秘密の開発法」』を読み、興味を持ち春頃には世田谷の公民館で行われたセミナーに参加[3]1987年5月にオウム神仙の会に入信し、7月に全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して出家。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験。「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励み、セミナーの準備や新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなし、教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする「車両班」に配属され、若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となる[3]柔道の有段者であることを買われ、麻原の身辺警護を担当する「SPS(尊師パーソナルスタッフ、後の自治省)」にも所属したが、諜報省に移籍し井上嘉浩の補佐役となった。

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致と遺体焼却[5]の実行犯、地下鉄サリン事件では帝都高速度交通営団(現東京地下鉄日比谷線でサリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして警察から特別指名手配された。上記の指名手配容疑以外にも会社員VX殺害事件における運転役、被害者の会会長VX襲撃事件における実行役の補佐役、東京都庁小包爆弾事件における爆弾の起爆装置製造の容疑も加わった。

1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市マンション菊地直子北村浩一らと5人で潜伏していたことが判明している。
菊地直子逮捕後逮捕時に高橋が潜伏していた漫画喫茶「コミックガーデン」(左)

1996年11月以降は足取りが途絶え、海外逃亡説も取り沙汰されたが[6]、2012年6月3日、神奈川県相模原市逮捕された菊地直子の供述により、2007年ごろまで菊地と生活を共にしていたが、その後は別行動を取っていた事が分かった。

逃走中は実在する人物の住民票を悪用し、本人になりすまして生活していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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